イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

2026年05月

1写真はアンギアーリです。
1484年、ルカ・シニョレッリはアレッツォからボルゴ・サン・セポルクロに向かいましたが、その途中でアンギアーリに立ち寄りました。



52.パリ ルーブル美術館
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ルーブル美術館は、私にとって曰く言い難しの存在です。


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傑作秀作の宝庫なので必訪ですが、ナポレオン嫌いなのでイタリアからの略奪品の宝庫とも言えるのです。カラヴァッジョ作品を見るために何度も行きました。
例によって脱線してカラヴァッジョの作品です。


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カラヴァッジョの「聖母の死」


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カラヴァッジョの「女占い師」


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カラヴァッジョの「マルタ騎士団長アロフ・ド・ヴィニャクルの肖像」
本題のルカ・シニョレッリの作品に戻ります。


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ルカ・シニョレッリに帰属する「改悛の聖ジローラモ」


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一時期、ルカ・シニョレッリと一緒に仕事をすることが多かったバルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1448‐アレッツォ、1502)の作品説も有力でした。
この作品の出所や所有の経緯が明確になっていませんが、1913年にルーブル美術館の所有となりました。


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ルカ・シニョレッリの「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


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縦33㎝横70㎝と言うサイズから明らかに祭壇画のプレデッラの一部と分かります。


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この裾絵のメインパネルですが、ペルージャのドゥオーモにあった「サントノフリオ(聖オノフリオ)の祭壇画」と言う説が定説となってます。


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ペルージャのドゥオーモです。
「サントノフリオの祭壇画」のメインパネルは聖堂内から隣接する大聖堂付属美術館に移されました。


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ペルージャのサン・ロレンツォ大聖堂付属美術館の入り口


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サントノフリオの祭壇画(メインパネル)です。


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祭壇画は1484年にサントノフリオ礼拝堂に設置されました。1608年にサントノフリオ礼拝堂が改修されましたが、それを機にドゥオーモ内の別の場所に移設されました。


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オリジナルの額縁は1648年までは残っていた記録が残されており、メインパネルとプレデッラは分離されていなかったと思われます。

プレデッラの「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」は、1824年にルイ18世のコレクションからルーブル美術館の所有となりました。


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ルカ・シニョレッリの「人物群像」


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「人物群像」は祭壇画の断片と思われてますが、元となった祭壇画については全く分かってません。
ギリシャ、ローマ時代の彫刻や古代美術に関する19世紀最大のイタリアの美術収集家と言われたジャンピエトロ・カンパーナ(ローマ、1808-1880)のコレクションがありましたが、1863年、その一部をルーブル美術館に売った中の一枚が「人物群像」です。


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ルカ・シニョレッリの「マギの礼拝」

この作品は、縦326㎝横243㎝の大サイズであり、祭壇画のメインパネルです。何処にあったのか、また所有の変遷も明らかになってます。


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チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会です。
サンタゴスティーノ教会の主祭壇画として、ルカ・シニョレッリによって1493年から1494年に制作されたのが「マギの礼拝」です。完成した祭壇画は1494年に中央礼拝堂に設置されました。
1789年に地震によってサンタゴスティーノ教会の建物が大きな被害を受けたので、建物が再建されることになりました。現在の教会外観はその再建されたものです。
再建に際して、ルカ・シニョレッリの祭壇画はパネル毎に分解され、売りに出されました。
メインパネルの「マギの礼拝」は、教皇庁に売却されました。その後、前述のジャンピエトロ・カンパーナが手に入れ、1863年に他の作品と共にルーブル美術館に収蔵されました。
分解されたプレデッラですが、そのうちの一つである「受胎告知」がフィラデルフィア美術館にあります。


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ルカ・シニョレッリの「受胎告知」(フィラデルフィア美術館蔵)

「マギの礼拝」のプレデッラの一部です。



53.バーミンガム バーバー研究所美術館 Barber Institute of Fine Arts
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イギリス、バーミンガム大学のキャンパス内にあるハーバー美術研究所です。この建物はイギリスの美術史研究に特化した建物として、1939年にメアリー女王によって開所されました。


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バーミンガムjの広大な郊外の不動産業で財を成したヘンリー・バーバーの未亡人マーサ・バーバーは、記憶に残る形でバーミンガム市に恒久的な貢献を行うことに決め、1932年にバーバー研究所が設立され、その資産と共にバーミンガム大学に寄贈されました。
1933年、バーバー未亡人が亡くなり、その遺産全てが大学の芸術と音楽の研究に委ねられました。譲渡を受けたバーバー夫妻による資産は、研究所向けに最高品質の美術品のみを購入することに費やされました。
そうして購入された美術品がハーバー研究所の展示の核となってます。
ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「ニッコロ・ヴィテッリの肖像」

ニッコロ・ヴィテッリ(チッタ・ディ・カステッロ、1414‐1486)は、有名な傭兵隊長であり、チッタ・ディ・カステッロのシニョーリ(領主)でした。ニッコロの息子たちの肖像画描いており、そのうちカミッロとヴィテッロッツォの2点がフィレンツェのイ・タッティにあります。
ニッコロの肖像画は息子たちの肖像画を一緒に描かれたと思われることから、ニッコロの肖像画はニッコロの死後に描かれたという説が定説になってます。



54.スコットランド グラスゴー ポロックハウス Pollok House
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ポロック・ハウスは、1725年に建設されたスターリング=マクスウェル家の邸宅です。1966年、建物と広大な敷地や絵画などを所有していた同家によって、グラスゴー市に寄贈されました。


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ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「嘆き」

「嘆き」は、シエナのサンタゴスティーノ教会Cappella BichiにあったPala Bichiのプレデッラの一部です。


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シエナのサンタゴスティーノ教会です。


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Pala Bichiの現存するパネルと彫刻の配置図
「嘆き」はプレデッラ3枚の中央にあったと考えられてます。
Pala Bichiについては、既に何度も触れました。


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Cappella Bichiの壁に描かれたルカ・シニョレッリのフレスコ画
(つづく)

4写真はロレートのドゥオーモです。
ルカ・シニョレッリの時代、祭壇画について第三者による鑑定評価が必要になる場合があったようです。記録が残っていることに限っても、ルカは二回鑑定評価依頼を受けました。その一つは、ロレート大聖堂のオルガンの蓋に描かれた「受胎告知」の評価依頼でした。また、ルカの祭壇画制作契約において、第三者による鑑定評価を行わないとの条項が入っている契約が残されてます(但し、一例だけ)。



48.ハンガリー ブダペスト美術館 Budapest Museum Fine Arts
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ブダペスト美術館です。


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1900年から1906年に建設された新古典様式の建物に10万点以上の作品が展示されてます。
ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「聖ヤコブと生ける巡礼者と死んだ巡礼者」
滅多に採用されない主題の作品で、その出どころは「黄金伝説」と言われてます。スペインの有名な巡礼地サンチャゴ・コンポステーラへの巡礼者を慰労するために馬上の聖ヤコブが巡礼者の前に顕現し、生きた巡礼者と死んだ巡礼者を巡礼地コンポステーラまで15日間の旅程を一晩で運んだという主題です。
縦34㎝横26㎝の小パネルの作品で、そのサイズから祭壇画裾絵の土台部分だったと推察されて、その祭壇画のメインパネルを探す検討が長らく行われてきました。
聖ヤコブが描かれているメインパネルとしてブレラ絵画館所蔵の「聖母子と聖人たち」がそれではないかと提唱され、現在その可能性が高いとされてます。


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ミラノのブレラ絵画館


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ブレラ絵画館所有のルカ・シニョレッリの「玉座の聖母子とと聖人たち」(1508)

これはアルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会修道院にあったもので、現在フランチェスコ教会に戻されているとの説があります。


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アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会


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アルチェヴィアのサン・フランチェスコ修道院教会のキオストロ

なお、「聖ヤコブと生ける巡礼者と死んだ巡礼者」は、1857年にローマのモンテ・ディ・ピエタ(慈善質屋)にありましたが、エステルハージ邸宅のコレクションに入りました。エステルハージ邸宅のコレクション約700点はブダペスト美術館のヨーロッパ絵画展示の中核を成してます。



49.ダブリン アイルランド国立美術館
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カラヴァッジョの有名な作品があるので、時々訪れてます。一回だけ展示されていないときがあって、無駄足となって大落胆しました。貸出中なのか修復中なのか、そのような説明もありませんでした。


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カラヴァッジョの「キリストの逮捕」
折角なので作品画像を載せておきましょう。


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カラヴァッジョの自画像が描かれてます。


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カラヴァッジョは余計です。ルカ・シニョレッリの作品に話を戻しましょう。
アイルランド国立美術館にルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「シモン家の饗宴」
有名なPala Bichiのプレデッラの一部です。世界中の美術館にPala Bichiのパネルが散らばっているので、これまでに何度も取り上げました。
復習の意味で再度取り上げます。


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残存しているパネルによるPala Bichiの配置図


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シエナのサンタゴスティーノ教会です。
右翼廊にBichi家の個人礼拝堂がありましたが、Pala Bichiはその礼拝堂の主祭壇画でした。


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シエナのサンタゴスティーノ教会は、1747年の地震によって壊滅的な被害を受けました。17世紀後半までにBichi家は窮乏してしまい、Bichi家礼拝堂は教会の重荷になっていました。そのため、地震後の建物の大修復、一部再建工事着工の際にPala Bichiはパネル毎に分解され売却されました。また、礼拝堂の壁にルカ・シニョレッリのフレスコ画がありましたが塗り潰されてしまいました。


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Bichi家礼拝堂のルカ・シニョレッリのフレスコ画
最近行われた修復工事の際にルカ・シニョレッリのフレスコ画が発見されました。

さて、アイルランド国立美術館の「シモン家の饗宴」ですが、1887年にクリスティーズのオークションでダブリン・ギャラリー(アイルランド国立美術館の前身)が落札しました。
それ以前の所有者は数度変わったようですが、詳細は不明です。



50.ミュンヘン アルテ・ピナコテーク
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バイエルンのルートヴィッヒ1世のラファエッロの「テンピの聖母」の収集に纏わる話によって、当時の美術品収集の実態が分かります。美術品は宝物なんですね。


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ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子のトンド」(1490年代?)
右に描かれた裸の男はスピナリオ像と言われてます。先に触れたPala Bichiにも描かれていました。


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この作品は1894年までフィレンツェのPalazzo Ginoriにありました。同年、本美術館が購入しました。


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フィレンツェのPalazzo Ginori
この建物は16世紀初頭にジノリ家の当主カルロ・ジノリによって建設されましたが、この作品はカルロの注文によって描かれたという説があります。



51.パリ シャリス ジャクマール・アンドレ美術館
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パリの北にあるフランスのシトー会のシャリス修道院です。過っての修道院だった建物は廃墟になってます。廃墟となった修道院の隣に18世紀前半に建てられたジャン・オーベールの城があります。


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1902年、銀行家の御曹司で、莫大な財産を美術品購入に注力したエドゥアール・アンドレの妻で未亡人となったネリー・ジャクマールは城を買い取りました。城の敷地内のすべての建物に夫妻で収集した美術品を収蔵したいと考えての城の取得でした。
エドゥアール・アンドレとネリー・ジャクマールの夫妻は毎年イタリアを訪れ、イタリアの美術品収集に努めました。エドゥアール・アンドレが亡くなって未亡人となったネリー・ジャクマールは、その生涯の残りの年月をイタリア美術品収集に捧げ、夫妻のコレクションはイタリア美術品のフランスで最も優れたものになりました。


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制作者不明の「ネリー・ジャクマールの肖像」
1912年、ネリー・ジャクマールは財産とコレクションのすべてをフランス国際研究所に寄贈するとの遺言残して没しました。


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ジャクマール・アンドレ美術館はそうしてできたパリの公立美術館です。


ルカ・シニョレッリの作品が2点あります。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖人(具体的には不明)」(1490年代?)


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この作品は、1888年にエドゥアール・アンドレがフィレンツェの画商でフィレンツェの美術研究所教授のエミリア・コンスタンティーニ(1842-1926)から購入したものです。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人 または聖家族」
(つづく)

1ルカ・シニョレッリが同業者の中で最も親密だったのはピントゥリッキオだったと思います。一緒に仕事をしたのは勿論のこと、ピントゥリッキオの息子の洗礼を行い名付け親になったことでも良く分かります。ルカ・シニョレッリがシエナに行けば、彼と会っていたようです。



45.オランダ アムステルダム国立美術館 Rijksmuseum Amsterdam
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オランダの国立美術館はハーグにあったそうです。1808年、侵攻してきたナポレオンによってアムステルダムに移転されました。
17世紀のオランダ絵画黄金時代の作品の宝庫です。17世紀のオランダ絵画界は非常に不思議に思えます。1640年から1660年の20年間に130万点以上の絵画が制作されました。何れも画家の技量は優秀で、その出来栄えは素晴らしい。しかし、その作品数は明らかに供給過剰であり、画業で生計を立てるのが難しかったと思われます。


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ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリの「ゲオルギウスと竜」(1490c-1510c)

制作の経緯が全く分からないばかりか、何処にあったのかさえも分からないようです。一般的にこのようなパネルはプレデッラである場合が結構あるのですが、本パネルの縦55㎝横77㎝と言うサイズはプレデッラにしては大き過ぎます。また、プレデッラとすれば「ゲオルギウスと竜」に関連する主題の同サイズのパネルが存在する筈ですが、それも無いのです。

このパネルは、19世紀にロンドンの収集家のコレクションにありましたが、オランダの実業家で美術収集家だったEdwin von Rath(1863-1940)に売れられました。エドウィンは特にイタリア美術品収集に力を入れましたが、自分の収集物がオランダの美術館に貢献することを望み、生前からアムステルダム国立美術館に貸し出していました。この作品はエドウィンの遺言によって1941年に同美術館に遺贈された作品の一つです。



46.ベルリン、絵画館 Gemaldegalerie
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絵画館は、ベルリン国立美術館の一部で、13世紀から18世紀のヨーロッパ美術品を展示しています。


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第二次世界大戦によって、この絵画館にあった貴重な作品が消失してしまいました。
ルカ・シニョレッリの作品が3点(4パネル)あります。
ルカ・シニョレッリの作品が3点あります。


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ルカ・シニョレッリの「老人の肖像」(1490c)
この作品は、19世紀初頭にフィレンツェのアルノ川左岸オルトラルノ地区のPalazzo Torrigianiにありました。
1894年にベルリン美術館がトッリジャーニ家から購入しました。


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フィレンツェのPalazzo Torrigianiです。
19世紀初頭に相続によってPalazzo Torrigianiを手に入れたトッリジャーニ家は、住居兼美術コレクションの展示場所にするために建物を改造しましたが、そのコレクションの中に「老人の肖像」がありました。


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しかし、「老人の肖像」はPalazzo Torrigianiが建設された当初から建物内にあったとの説があり、15世紀初頭に建築家バッチョ・ダーニョロに対して建物の建設を注文したロベルト・ナーシの肖像画説が出されました。
また、近年になって、この人物は人文主義者でメディチ家のプラトンアカデミーの主要メンバーだったクリストフォロ・ランディーノ(フィレンツェ、1424‐プラートヴェッキオ、1498)ではないか、との説が提唱され、有力とされてます。
クリストフォロ・ランディーノの肖像はドメニコ・ギルランダイオによって描かれてます。


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フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂トルナブオーニ礼拝堂に描かれたドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画です。
画面左から二番目がクリストフォロ・ランディーノです。


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ルカ・シニョレッリの「ご訪問と聖家族と聖ジョヴァンニーノの家族」


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ルカ・シニョレッリの署名が入ってますが、制作年の記載がありません。
ベルリン美術館がローマの収集家から購入しましたが、それ以前の持ち主の変遷が不明です。
シエナの僭主パンドルフォ・ペトルッチ(シエナ、1452‐サン・クィリコ・ドルチャ1512)の相続人の1539年の財産目録に記載がある作品です。


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この作品があったシエナのPalazzo del Magnificoです。Palazzo del Magnificoはパンドルフォ・ペトルッチの住居でした。


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ルカ・シニョレッリはPalazzo del Magnificoにフレスコ画も描きました。これは剥離フレスコ画で、ロンドンのナショナルギャラリーにあります。


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ルカ・シニョレッリの「聖人たち」
二枚のパネルに描かれてます。この二枚は多翼祭壇画の一部です。


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シエナの聖カテリーナ、マグダラのマリア、聖ジローラモ


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聖アゴスティーノ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、パドヴァの聖アントニオ


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2枚のパネルは有名なPala Bichiのものです。


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シエナのサンタゴスティーノ教会です。
サンタゴスティーノ教会ビキ家礼拝堂の主祭壇画がPala Bichiです。


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ビキ家礼拝堂に描かれたルカ・シニョレッリのフレスコ画



47.ルーマニア ブカレスト Museo Nazionale d’Arte Rumena
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1812年に創建され、1937年に完成したブカレスト王宮です。


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王宮だった建物に美術館になったのは1950年でした。7万点以上の美術品を所有しています。
ルカ・シニョレッリの作品が1点あります。


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ルカ・シニョレッリのプレデッラ
不完全なプレデッラで、左側に切り取られた部分があると推定されてます。


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海辺の聖アゴスティーノ


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アブラハムに現れる天使


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井戸に隠れる聖アタナシウス

このプレデッラのメインパネルですが、プレデッラに描かれた聖アゴスティーノと聖アタナシウスから、両聖人がメインパネルに描かれた、フィレンツェのウフィッツィ美術館の「三位一体」と言うのが定説になってます。


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ルカ・シニョレッリの「三位一体」


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ウフィッツィ美術館の作品説明板


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人気のないウフィッツィ美術館


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ウフィッツィ美術館にある「三位一体」はコルトーナのサンティッシマ・トリニタ教会修道院にありました。


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(つづく)

11480年代後半、ルカ・シニョレッリはフィレンツェのメディチ家の庇護を受けるようになりました。1490年代初頭、フィレンツェ、ヴォルテッラからコルトーナに戻ったルカ・シニョレッリは、ロレンツォ・イル・マニーフィコの支援を受けて、過ってフィレンツェのゲルフ派が所有していたコルトーナのポポロ宮の地下に工房を構えました。



43.ニューヨーク メトロポリタン美術館
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札束で世界中の美術品を買い集めた美術館です。


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当たり前ですが、ルネサンスの三巨人、カラヴァッジョ、ルカ・シニョレッリなどの芸術家はアメリカと無縁です。
カラヴァッジョの作品を見るために時々訪れてます。
余計ですが、メトロポリタン美術館のカラヴァッジョ作品を載せておきましょう。


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カラヴァッジョの「聖ピエトロの否認」(1609-10c)


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カラヴァッジョの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1600-05c)
個人所有ですが、メトロポリタン美術館で展示されてます。


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カラヴァッジョの「音楽師たち」(1595c)


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カラヴァッジョの「リュート奏者」
個人所有ですがメトロポリタン美術館で展示されてます。
本題のルカ・シニョレッリの作品に話を戻しましょう。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子」


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この作品は、1507年4月10日付の公正証書に記された記述がその裏付けとされてます。
19世紀後半に記された、コルトーナのCasa Tommasiの所有作品リストに、この「聖母子」が記載されているそうです。1893年に売りに出され、所有者が2回変わりました。20世紀前半、ニューヨークの銀行家が20万ドルで手に入れ、1949年にその銀行家がメトロポリタン美術館に寄贈しました。


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コルトーナのサンタ・マルゲリータ教会です。
「1507年4月10日、ルカ・シニョレッリは、コルトーナのサンタ・マルゲリータ教会の薬局にて、コルトーナの市民などの証人、公証人である私の目の前で、ルカ・シニョレッリ夫妻の娘であるガブリエーラに対して、腕に子供を抱いた聖母マリアの半身像と精巧な金色の背景を持つ小さな絵画、及び約2フローリンの大きな金貨を与えました。」との内容の公正証書があります。
この公正証書に記された『腕に子供を抱いた聖母マリアの半身像と精巧な金色の背景を持つ小さな絵画』がメトロポリタン美術館で展示されている「聖母子」であるとの説が定説になってます。


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ルカ・シニョレッリの「聖母被昇天」

この作品は1480年代後半に制作され、その大部分は工房の助手の手になるものとされてます。


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「聖母被昇天」は、1860年にコルトーナのサンティッシマ・トリニタ修道院教会にあったという記録が残されてますが、それが最初の記録となってます。


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ところが、コルトーナのサンティッシマ・トリニタ修道院教会は1582年に創建されたので「聖母被昇天」は何処から移されたことが分かります。
「聖母被昇天」に描かれた大天使聖ミケーレから、この作品はコルトーナのサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会のために制作されたという説が提唱されました。


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コルトーナのサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会


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コルトーナのサン・ミケーレ・アルカンジェロ修道院は、ルカ・シニョレッリの息子アントニオの嫁Matthea Scaramucciaとの関係で、ルカ・シニョレッリが何かと関係がありました。



44.アメリカ ペンシルベニア州 フィラデルフィア美術館 Philadelphia Museum of Art
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所蔵作品の質、量に於いて世界有数の規模を持つ美術館です。


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アメリカと言う成り立ちの国の典型的とも言える美術館で、大半の展示作品は札束を積んで買い集めた金満家によるものです。ゴシック、ルネサンス、バロックなどは元々アメリカに存在しないのですから、それは当然です。

ルカ・シニョレッリの作品が4点あります。4点共にジョン・グレイヴァ・ジョンソンが収集し、フィラデルフィア美術館に遺贈されたものです。
ジョン・グレイヴァ・ジョンソン(フィラデルフィア、1841‐1917)は非常に成功を収めた弁護士でしたが、その趣味は美術収集でした。彼のコレクションのうち、1000点以上をフィラデルフィア美術館に遺贈するとの遺言を残しました。


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ルカ・シニョレッリの「若い男の肖像」

制作の経緯や誰の肖像画なのか不明となっている作品です。
この作品は、ドイツの美術史家ヴィルヘルム・フォン・ボーデ(1845‐1929)が所持していました。しかし、ボーデが所持する以前のことは不明のようです。ボーデによってルカの作品であると断定されました。
ボーデは、イタリア・ルネサンス、オランダ・フランドルのバロック芸術の専門家で、権威ある研究を数多く行い、その功績によって貴族に任じられ「フォン」と名乗るようになりました。
1904年、カイザー・フリードリヒ美術館を創設し、その初代学芸員を務めました。
1911年、ジョン・グレイヴァ・ジョンソンがこの作品をヴィルヘルム・フォン・ボーデから購入して、ジョンソンのコレクションの一つとなりました。


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ルカ・シニョレッリの「羊飼いの礼拝」

そのサイズ(縦36㎝横43㎝)と画題からプレデッラの一部であり、しかも、「羊飼いの礼拝」と対を成すプレデッラパネルは、ニューヘイブンのイェール大学美術館所蔵の「マギの礼拝」であるとの説が定説になってます。


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イェール大学美術館にある、ルカ・シニョレッリのプレデッラ「マギの礼拝」です。


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プレデッラの「羊飼いの礼拝」(フィラデルフィア美術館蔵)と「マギの礼拝」(イェール大学美術館蔵)の祭壇画のメインパネルとして提唱されているのが、ルカ・シニョレッリの「聖母子と四聖人」です。


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「聖母子と四聖人」はコルトーナのMuseo Diocesanoにあります。


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コルトーナのMuseo Diocesano


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コルトーナのサン・フランチェスコ教会

メインパネル「聖母子と四聖人」に描かれている四聖人がフランチェスコ会修道士聖人であることから、この祭壇画はコルトーナのサン・フランチェスコ教会のために描かれたという説が有力とされてます。


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コルトーナのサン・フランチェスコ教会内部

フィラデルフィア美術館の「羊飼いの礼拝」のプレデッラ・パネルの所有者の変遷は不明です。ジョン・グレイヴァ・ジョンソンが記したコレクション目録によれば、1911年にフィレンツェの美術収集家、画商でもあったLuigi Grassiから購入しました。


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ルカ・シニョレッリの「受胎告知」

この「受胎告知」は明らかに祭壇画のプレデッラの一部と考えられてます。
その祭壇画ですが、メインパネルはルーブル美術館にある「マギの礼拝」であろうというのが定説になってます。


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ルーブル美術館にある、ルカ・シニョレッリの「マギの礼拝」

この作品はナポレオンのイタリア侵攻の際、フランスに略奪されたものなので、その制作に関する経緯は明らかになってます。


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チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会です。


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ルカ・シニョレッリの祭壇画「マギの礼拝」は、チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会の主祭壇画として1493年から1494年に制作されました。

ジョン・グレイヴァ・ジョンソンが記したコレクション目録に、プレデッラパネル「受胎告知」を1910年にパリのゴルーベフ伯爵から購入したと記されてます。尚、それ以前の所有者は不明です。
この「受胎告知」は滅多に展示されないようです。


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ルカ・シニョレッリ(フランチェスコ・シニョレッリ?)の「聖マリア・マッダレーナ」
甥のフランチェスコ・シニョレッリの作品である可能性が高いとされてます。
制作された経緯が全くの不明です。
ジョン・グレイヴァ・ジョンソンのコレクション目録には、1902年にオランダの画家レオ・ナルダスから購入と記されてます。
(つづく)

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