モンテプルチャーノは、人口14,033人(2016年12月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。
この日、午前6時過ぎのヴィテルボ・ポルタ・フィオレンティーノ駅からローマ・テルミニ駅行きの普通列車に乗車しました。
車内はがら空きでした。
この駅で乗り換えです。
ローマ・テルミニ駅発フィレンツェ行きのRVに乗りました。
この列車も空いてました。
キウージ駅で下車しました。
キウージ駅前の広場です。
モンテプルチャーノ駅行きのバスの時間までちょっと時間がありましたが、駅近くに教会がなく時間潰しに少々困りました。
バスに乗車。
乗車約1時間ほどでモンテプルチャーノのバスターミナルに到着。
サンタグネス教会を横目で見ながら、先ず、この日のお宿に向かいました。
城壁外からサンタゴスティーノ教会が見えました。
旧市街の入り口プラート門です。門の横にカラヴァッジョの帰属作品とされる肖像画の写真が出ていました。
門のタベルナコロに描かれたフレスコ画が光線の具合で殆ど見えません。
プラート門近くにある、ここがこの日のお宿です。モンテプルチャーノに来れば必ず泊まることにしています。他のお宿に泊まったことがないので、比較が出来ませんが満足しています。
併設のレストランも美味しい。
唯一、困るのはエレベーターがないこと。
お宿前のサヴォナローラ広場に立つライオン像
チェックインを済ませて、町歩きに出発しました。
ここはワインで有名なので、自戒を心に言い聞かせました。
朝ごはんのワイン、10時のおやつのワイン、お昼のワイン、午後のおやつのワイン、晩餐のワイン。もう年ですから、それは無理と言うもの。
数年前までやっていました。モンテプルチャーノ、ピエンツァ、モンタルチーノと3日続けて、それをやったら肝臓の下辺りが痛くなってきたのを覚えてます。
目抜き通りのグラッチャーノ・デル・コルソ通りです。
サンタゴスティーノ教会です。観光で生きている町なので、日中は開いています。
1285年創建のロマネスク様式の建物が初代です。15世紀にフィレンツェの建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(1396‐1472)の設計監督によって改築されました。
その二代目の建物は、1784年から1791年にかけて大掛かりな修復工事が行われました。その際、特にファサード上部に多くの手が加えられました。現在の姿は二代目の建物の修復後のものです。
ルネッタの彫刻「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖アゴスティーノ」(15世紀)はミケロッツォの作品です。
ニコロ・ダンドレイアの作品説もあるようです。
その上のトンドの部分にフレスコ画があったそうですが、全く残っていません。
壁龕には彫刻があったと思います。
扉周辺の彫刻は15世紀のものです。
翼廊がない単廊式の内部です。18世紀末に行われた大掛かりな修復のせいで、かなり新しく見えます。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
観光客がいました。
後陣にオルガンと聖歌隊席があります。
フェデリーコ・フィオーリ通称イル・バッロッチョ(1528‐1612)の「チントラの聖母」
18世紀の無名彫刻家の「聖ピエトロ」
チェーザレ・ネッビア・ダ・オルヴィエート(1534‐1614)の「キリストの昇天」(1585)
詳細不明
フェデリーコ・フィオーリ通称イル・バッロッチョの「チントラの聖母と聖人たち」
詳細不明
制作者不明の「聖アウグストゥス」(18世紀)
ロレンツォ・ディ・クレディ’1459‐1537)の「磔刑と聖母とマグダラのマリア」
主祭壇
地味な装飾の後陣
ドナテッロ(1386‐1466)に帰属する磔刑像
次は礼拝堂に入ります。
プレセピオがあります。
右側壁の礼拝堂に戻りました。
ポマランチョ(1552‐1626)の「ピエタのキリストを支える2天使」
詳細不明
ベアート・バルトロメオの墓
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ダ・シエナ(1403c‐1482)の「トレンティーノの聖二コラ」
私にはシエナの聖ベルナルディーノに見えますが・・・・・
アレッサンドロ・アッローリ(1535‐1607)の「ラザロの蘇生」
詳細不明
アンドレア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタの「洗礼者聖ジョヴァンニ」
私には本物には見えませんが・・・・・
外に出ます。
(つづく)
この日、午前6時過ぎのヴィテルボ・ポルタ・フィオレンティーノ駅からローマ・テルミニ駅行きの普通列車に乗車しました。
車内はがら空きでした。
この駅で乗り換えです。
ローマ・テルミニ駅発フィレンツェ行きのRVに乗りました。
この列車も空いてました。
キウージ駅で下車しました。
キウージ駅前の広場です。
モンテプルチャーノ駅行きのバスの時間までちょっと時間がありましたが、駅近くに教会がなく時間潰しに少々困りました。
バスに乗車。
乗車約1時間ほどでモンテプルチャーノのバスターミナルに到着。
サンタグネス教会を横目で見ながら、先ず、この日のお宿に向かいました。
城壁外からサンタゴスティーノ教会が見えました。
旧市街の入り口プラート門です。門の横にカラヴァッジョの帰属作品とされる肖像画の写真が出ていました。
門のタベルナコロに描かれたフレスコ画が光線の具合で殆ど見えません。
プラート門近くにある、ここがこの日のお宿です。モンテプルチャーノに来れば必ず泊まることにしています。他のお宿に泊まったことがないので、比較が出来ませんが満足しています。
併設のレストランも美味しい。
唯一、困るのはエレベーターがないこと。
お宿前のサヴォナローラ広場に立つライオン像
チェックインを済ませて、町歩きに出発しました。
ここはワインで有名なので、自戒を心に言い聞かせました。
朝ごはんのワイン、10時のおやつのワイン、お昼のワイン、午後のおやつのワイン、晩餐のワイン。もう年ですから、それは無理と言うもの。
数年前までやっていました。モンテプルチャーノ、ピエンツァ、モンタルチーノと3日続けて、それをやったら肝臓の下辺りが痛くなってきたのを覚えてます。
目抜き通りのグラッチャーノ・デル・コルソ通りです。
サンタゴスティーノ教会です。観光で生きている町なので、日中は開いています。
1285年創建のロマネスク様式の建物が初代です。15世紀にフィレンツェの建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(1396‐1472)の設計監督によって改築されました。
その二代目の建物は、1784年から1791年にかけて大掛かりな修復工事が行われました。その際、特にファサード上部に多くの手が加えられました。現在の姿は二代目の建物の修復後のものです。
ルネッタの彫刻「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖アゴスティーノ」(15世紀)はミケロッツォの作品です。
ニコロ・ダンドレイアの作品説もあるようです。
その上のトンドの部分にフレスコ画があったそうですが、全く残っていません。
壁龕には彫刻があったと思います。
扉周辺の彫刻は15世紀のものです。
翼廊がない単廊式の内部です。18世紀末に行われた大掛かりな修復のせいで、かなり新しく見えます。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
観光客がいました。
後陣にオルガンと聖歌隊席があります。
フェデリーコ・フィオーリ通称イル・バッロッチョ(1528‐1612)の「チントラの聖母」
18世紀の無名彫刻家の「聖ピエトロ」
チェーザレ・ネッビア・ダ・オルヴィエート(1534‐1614)の「キリストの昇天」(1585)
詳細不明
フェデリーコ・フィオーリ通称イル・バッロッチョの「チントラの聖母と聖人たち」
詳細不明
制作者不明の「聖アウグストゥス」(18世紀)
ロレンツォ・ディ・クレディ’1459‐1537)の「磔刑と聖母とマグダラのマリア」
主祭壇
地味な装飾の後陣
ドナテッロ(1386‐1466)に帰属する磔刑像
次は礼拝堂に入ります。
プレセピオがあります。
右側壁の礼拝堂に戻りました。
ポマランチョ(1552‐1626)の「ピエタのキリストを支える2天使」
詳細不明
ベアート・バルトロメオの墓
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ダ・シエナ(1403c‐1482)の「トレンティーノの聖二コラ」
私にはシエナの聖ベルナルディーノに見えますが・・・・・
アレッサンドロ・アッローリ(1535‐1607)の「ラザロの蘇生」
詳細不明
アンドレア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタの「洗礼者聖ジョヴァンニ」
私には本物には見えませんが・・・・・
外に出ます。
(つづく)
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