マリオット・アルベルティネッリのサークル画家の「聖母子と天使」(15世紀末‐16世紀初頭)
マリオットの工房にいた画家が描いたと思いますが、上出来ですね。親方(マリオット)よりも上手?
ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1461c‐1521)の「聖母戴冠と聖ドメニコと聖フランチェスコ」(1520)
イタリア中部の無名画家作「ラッファエッロ作『聖家族』のコピー画」(16世紀)
ヤコピーノ・デル・コンテ(フィレンツェ、15010‐1513‐ローマ、1593)の「幼児の聖母」(1530‐35c)
ピエル・フランチェスコ・ディ・ヤコポ・フォスキ(フィレンツェ、1502‐1567)の「聖母子と2天使」(1530c)
ポッピ(ポッピ、1544c‐フィレンツェ、1597)またはヴィンチェンツォ・ウリヴィエーリ(フィレンツェ、1565c‐1600c)の「救世主」(1530c)
フィレンツェの画家作「アンドレア・デル・サルト作『聖セバスティアーノ』のコピー画」(16世紀後半)
ポッピの「玉座の聖母子と天使たち」(1565‐66)
ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「十字架降下と聖人たち」(1566c)
フィレンツェの画家作「磔刑と聖母と福音書記者聖ジョヴァンニと祈る幼児たち」(16世紀末‐17世紀初頭)
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「包帯のプット」(1487)
入館者が少なかった。
ポッピまたはヴィンチェンツォ・ウリヴィエーリの「磔刑と聖人たち(マリア・マッダレーナ、聖母、福音書記者聖ジョヴァンニ、聖フランチェスコ、バーリの聖二コラ)」(1580‐90)
アンドレア・デッラ・ロッビアの「包帯の幼児」
ヴィンチェンツォ・ウリヴィエーリの「死せるキリストへの哀悼」(1586)
フィリッポ・ラティーニ(フィレンツェ、1604‐1660)の「受胎告知」(1659)
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、144901494)、ダヴィド・ギルランダイオ(フィレンツェ、1451‐1523)、バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ(フィレンツェ、1488‐1501記録)の「マギの礼拝の祭壇画」(1488‐89)
ダヴィドはドメニコの弟で、ドメニコの助手を務めることが多かったようですが、ドメニコの死後、工房を引き継ぎました。バルトロメオはドメニコの弟子で、工房で修業しました。ドメニコの死後、サンドロ・ボッティチェッリの助手を務めるようになりました。
この祭壇画では、ドメニコとダヴィドがマギの礼拝を手懸け、プレデッラはバルトロメオによって描かれました。
マギの礼拝
プレデッラ:福音書記者聖ジョヴァンニの殉教
受胎告知
聖母の結婚
十字架降下
キリストの寺院への出現
キリストの洗礼
捨て子養育院教会を神に捧げる聖アントニーノ
ピエロ・ディ・コジモ(フィレンツェ、1462‐1522)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、福音書記者聖ジョヴァンニ、ウンゲリアの聖エリザベッタ?、アレッサンドリアの聖カテリーナ)と天使たち」(1493)
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418‐1492)の「聖母戴冠と聖人たち(聖ルチア、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖バルトロメオ、聖フィリッポ)」(1460‐61)
次はタベルナコロが並んでいる部屋です。
無原罪の御宿リのタベルナコロ(19世紀)
聖母子のタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初頭)
この人を見よのタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初頭)
聖マリオのタベルナコロ(18世紀中頃)
カルミネの聖母のタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初め)
バーリの聖二コラのタベルナコロ(18世紀中頃)
プレセーペのタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初め)
プレセーペのタベルナコロ(19世紀)
磔刑のタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初め)
サンタ・マリア・デリ・インノチェンティ教会にあった捨て子養育院の保母
次の部屋です。
詳細不明
捨て子養育院教会の聖具類が展示されてます。
バッチョ・ディ・モンテルーポ(モンテルーポ、1469‐ルッカ、1537c)に帰属する「磔刑」(1490‐1500c)
ピエトロ・トッリジャーノ作「救世主」の複製彫刻(15世紀末‐16世紀初め)
詳細不明
ベネデット・ダ・マイアーノ作「聖母子」の複製(15世紀末‐16世紀初め)
19世紀末ごろの写真
中庭に出ました。
キオストロ回廊の壁に描かれたメディチ家の紋章
充実した展示に一変していたのでよい意味での驚きでした。
(おわり)
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