ヴェッキオ橋を渡ってピッティ宮に向かいました。
パラティーナ美術館の開館時間に合わせてホテルを出ました。ホテルの朝食は7時半から始まるので、早食いしました。
橋からサンタ・トリニータ橋を眺めました。
ヴァザーリの回廊
回廊で展示されている画家たちの自画像写真を撮りたいと思ってますが、個人でゆっくり鑑賞できる環境ではないので、果たせません。
サンタ・フェリチタ教会を通り過ぎました。拝観したいところですが、後の時間配分を考えると道草は禁物です。
ウフィツィ美術館、アカデミア美術館と比べると若干人気薄のようですが、展示作品の質と量の点では、アカデミア美術館を凌駕しウフィツィ美術館の次位にあると思います。
メディチ家をライバル視していたルーカ・ピッティが15世紀中頃に建設した私邸が前身です。
15世紀後半になるとピッティ家は最早メディチ家に伍していけるだけの存在ではなくなりました。1549年、当時のピッティ家当主だったブオナッコルソ・ピッティはエレオノーラ・ディ・トレド(コジモ1世の妻、ナポリ副王の娘)に私邸を売却したのです。エレオノーラは持参金で買ったと言われてます。
その後、建物は拡大され代々のトスカーナ大公が居住する宮殿となりました。
ピッティ広場
1859年までトスカーナ大公宮殿でした。
イタリア得意のヘンテコなモニュメント
この日はフィレンツェ・カードで入館するので、ピッティ宮右端にある切符売り場に行かずに直接宮殿に入りました。
中庭です。
美術好きで、フィレンツェで中3日過ごす人には最適のフィレンツェ・カードです。
フィレンツェ・カード保持者はブックショップで入館券の発券を受ける必要があります。
パラティーナ美術館の2016年の年間入館者は400,626人だったそうです。そのうちの約10%が毎月第1日曜日の無料開館日だったそうで、世知がないなあと思います。
無料開館日は混雑するので、混雑を避けて入館者が少ない博物館、美術館に行くことにしてます。(第1日曜日のバチカンは空いてますよ)
美術館として公開されているのは1階(日本の2階)です。
2017年10月、モーツアルト演奏会の案内です。
セミナー室です。ゆっくりと中を見たいところですが、後のことを考えてパス。
パラティーナ美術館のブックショップ
「ヘラクレス」(ローマ帝政時代)
「ヘラクレス」(ローマ帝政時代)
展示室内に入りました。
パラティーナ美術館は、この案合図で赤の部分を指します。
32室あります。
こちらの方も見ることが出来ます。
ジュゼッペ・ベッリ(ローマ、1743c‐フィレンツェ、1812)の「フェルディナンド3世ハプスブルグ・ロレーナの彫像」(1783)
バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1493‐1560)の「バッカス」(1549)
最初の部屋 Anticamera degli Staffieri です。
「Satiro e Pan」(2世紀)
「アントニウス・ピウス帝」(2世紀)
「ポリュクレイトスの頭像」(ローマ帝政時代)
「アスリート」(2世紀)
「アントニウス・ピウス帝」(2世紀)
「ルキウス・ウェルス帝(130‐169)」(2世紀)
「クニドスのアプロディーテ」(1‐2世紀)
「アスクレピオス(ギリシャ神話に出てくる王)」(2世紀)
17世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「Varginio」
「女性の彫像」(2世紀)
この部屋で足を止めて彫刻を見る人は少ないようです。
「マルクス・アウレリウス・アントニウス帝(第16代ローマ皇帝)」(2世紀)
「アスリート」(2世紀)
16世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「カラカラ帝」
「若い時のマルクス・アウレリウス・アントニウス帝」(2世紀)
「Satiro e Pan」(150c)
「男の彫像」(130‐140)
「男の彫像」(2世紀)
「アテーナ―」(2世紀)
「オフィディウス(ローマ時代の詩人)の彫像」(ローマ帝政時代)
「イゲア」(100‐150)
「メルクーリオ」(1世紀)
18世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「男の彫像」
(つづく)
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