次の部屋です。
Sala di Apollo
1647年、この部屋のフレスコ装飾がピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1597‐ローマ、1669)に依頼されました。
主要部分はピエトロ・ダ・コルトーナによって制作されましたが、未完のまま、10年ほど経ってしまいました。
ピエトロの一番弟子で、後に後継者となったチーロ・フェッリ(ローマ、1634‐1689)によって1659年から1661年にかけて制作され漸く完成したのです。
ユストゥス・サステルマンス(アントワープ、1597‐フィレンツェ、1681)の「幼少の頃のフランチェスコ・マリア・デ・メディチの肖像」(1663c)
制作者不明の「アンドレア・デル・サルト作『バッチョ・バンディネッリ?の肖像』のコピー画」
1797年に購入されピッティ・コレクション所蔵となりましたが、購入時はアンドレア・デル・サルトの自画像(真筆)とされていたそうです。
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490c‐ヴェネツィア、1576)の「聖マリア・マッダレーナ」(1530c)
外部サイトから拝借した作品画像
ティツィアーノの代表作の一つです。
詳細不明 説明板がありませんでした。
この場所には、ティツィアーノ工房作「慈悲の聖母」があったと思いますが、それが取り外され代わりに展示されていました。
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「ブラッチの聖家族」(1523c)
ザノービ・ブラッチのために描かれたことが画題の由来となってます。
外部サイトから拝借した作品画像
ティツィアーノの「イギリス人の肖像」(1525c)
アンドレア・デル・サイトの「ルーコのピエタ」は修復のため、展示されていませんでした。
これがアンドレア・デル・サルトの「ルーコのピエタ」(1523‐24)です。
外部サイトから拝借した作品画像
ガロファロ工房の「アウグストとシビッラ」(1537以降)
ドッソ・ドッシ(トラムスキオ、1486c‐フェッラーラ、1542)の「ニンフとサティーロ」(1508‐12)
ルドヴィーコ・マッツォーリ(フェッラーラ、1480c‐1530)の「キリストと姦通女」(1526c)
Gaspar de Crayer (1584-1669)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1665c)
ティントレット(ヴェネツィア、1519‐1594)の「ヴィンチェンツォ・ゼーノの肖像」(1565c)
Sala di Apolloの壁Bの作品に移ります。
シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612‐ボローニャ、1648)の「聖アンドレア」(1640‐50c)
ドッソ・ドッシの「洗礼者聖ジョヴァンニ」
アレッサンドロ・ヴィターリ(ウルビーノ、1580‐1650)の「乳児期のフェデリーコ・ウバルド(1605‐1623)の肖像」(1605c)
アレッサンドロはフェデリーコ・バロッチの追随者でした。
ジローラモ・デンティ(ヴェネツィア?、1525から記録‐1572以前没)の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖マリア・マッダレーナ」(1550c)
チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「十字架降下」(1600‐08)
グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「トビタを蘇生させる聖ピエトロ」(1618c)
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1617‐1686)の「ディオゲネス(ギリシャの哲学者)」(1640‐49)
ユストゥス・サステルマンスの「ヴィットリア・デッラ・ローヴェレの肖像」(1640c)
醜女を多少増しに描かねばならなかった宮廷画家は辛いですね。
ティベリオ・ティーティ(フィレンツェ、1578‐1637)の「乳児の頃のレオポルド・デ・メディチの肖像」(1617)
Sala di Apolloの壁Cの作品に移ります。
ニッコロ・カッサーノ(ヴェネツィア、1659‐ロンドン?、1713)の「ドイツ兵士の肖像」(1691)
アンドレア・デル・サルトの「メディチの聖家族」(1529)
外部サイトから拝借した作品画像
クリストファノ・アローリ(フィレンツェ、1577‐1621)の「聖ジュリアーノのホスピタリティ」(1612‐18c)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ランゲッティ(ジェノヴァ、1625‐ヴェネツィア、1676)の「男の肖像」
クリストファノ・アローリの「男の肖像」(1600‐05c)
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577‐1640)の「ガスパール・ストッペの肖像」(1606‐07)
ガスパールはオランダの哲学者で、1598年からローマに移住しましたが、ローマにいた時に描かれた肖像画とされてます。
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「クレオパトラ」(1640)
ヤコポ・ピストイア(ベルガモ、1500c‐ヴェネツィア?、1572以降没)の「エマオの晩餐」(1570‐72c)
この場所にヤコポ・リゴッツィの「ユディト」があったと思います。
制作者不明の「フェルディナンド2世デ・メディチの肖像」
この場所にはルーベンスの作品があった筈です。
これがルーベンスの作品ですが、何故か取り外されていました。
外部サイトから拝借した作品画像
アントン・ヴァン・ダイク派無名画家の「チャールズ1世とエンリエッタ・マリアの肖像」
Sala di Apolloの壁Dの作品に移ります。
カルロ・ドルチの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(1671c)
Cornelis de Vos (1585c-1651)の「女性の肖像」(1624c)
制作者不明の「セバスティアーノ・デル・ピオンボ作『この人を見よ』のコピー画」
1685年にコジモ3世がこの作品を購入した時には、セバスティアーノの真作とされていました。オリジナルの作品は失われてます。
カルロ・マラッタ(カメリーノ、1625‐ローマ、1713)の「フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1670c)
カルロ・ドルチの「聖カシミーロ」(1670‐71)
Jacob Ferdinand Voet (アントワープ、1639‐パリ、1700)の「オリンピア・アルドブランディーニの肖像」(1665‐70c)
ユストゥス・サステルマンスの「カヴァリエール・ブランドリーニ?の肖像」(1640‐50c)
(つづく)
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