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フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)の「獄中の聖ピエトロを訪れる聖パオロ」(1481‐82)
当初、ブランカッチ礼拝堂のフレスコ装飾はマゾリーノに依頼されましたが、1425年、マゾリーノはハンガリーに呼ばれ、1マゾリーノの助手だったマザッチョが残りの仕事を引き継ぎました。1427年若しくは1428年、マザッチョはマゾリーノと共にローマに赴きました。
ところがマザッチョはローマで急死してしまい、マゾリーノもブランカッチ礼拝堂の仕事に戻ることはせず、フレスコ画は未完のまま放置されたのです。
注文主のフェリーチェ・ブランカッチは反メディチでしたが、コジモ・ディ・メディチのフィレンツェ帰還によって、1436年に亡命を余儀なくされ、パトロン不在の状況ではフレスコ画どころではありませんでした。
1480年、ブランカッチ家は許されフィレンツェに戻りました。ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画装飾の完成をフィリッピーノ・リッピに依頼したのです。


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この場面は当初マザッチョが描き、後にフィリッピーノ・リッピが完成させました。


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マザッチョとフィリッピーノ・リッピの「アンティオキアの王子を蘇生させる聖ピエトロ」(1424‐26、1489‐91)


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マザッチョの「司教座の聖ピエトロ」
異時同図法で描かれてます。


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フィリッピーノ・リッピの「牢獄から解放される聖ピエトロ」(1482‐85)


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フィリッピーノ・リッピの「聖ピエトロの逆さ磔」


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フィリッピーノ・リッピの「シモン・マグスと聖ピエトロと聖パオロ」


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マゾリーノとマザッチョの画風は明らかに違います。


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どの場面を誰が描いたかを予習しておくと、実際にフレスコ画を見た時の鑑賞感が違うと思います。


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前と同じ通路を通ってブランカッチ礼拝堂を後にしました。
次はアレッサンドロ・アローリの「最後の晩餐」です。


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キオストロ回廊に「最後の晩餐」の部屋があります。


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ここです。
以前はこの部屋でブランカッチ礼拝堂の説明ヴィデオを見るようになっていましたが、ヴィデオ放映はなくなったようです。


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アレッサンドロ・アローリの「最後の晩餐」(1582)


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猫が描かれてます。


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旧食堂にある作品です。


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次はキオストロ回廊の壁ルネッタに描かれたフレスコ画です。


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フレスコ画の保存状態はあまり良くない。


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これらのフレスコ画は、ジョヴァン・バッティスタ・ヴァンニ、ドメニコ・ベッティ―ニ、コジモ・ウリヴェッリ、ジョヴァン・バッティスタ・ギドーニなど7,8人の画家によって描かれたそうです。


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場面毎の制作者は分かっているようです。


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この辺は修復されたように思います。


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外に出ました。


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(おわり)