ラ・スペツィアは、人口93,569人(2017年8月31日現在)のリグーリア州ラ・スペツィア県の県都です。

ラ・スペツィア中央駅に到着しました。

駅舎

駅から30mの、この日のお宿です。

午前中のまだ早い時間でしたが、部屋に入ることが出来ました。荷物を置いて早速街歩きに出発しました。

未だ晴れていましたが、この日の午後は雨になりました。

この日の予定は、ドゥオーモ、司教区美術館、アメデオ・リア美術館と回り、昼食後にポルト・ヴェネーレへの日帰り遠足でした。

ラ・スペツィアは美しい湾を持つ小さな港町でしたが、イタリア統一後、1860年から1865年にかけて築かれたイタリア最大の海軍基地を擁する軍港として大変貌を遂げました。

碁盤の目のように作られた広い道路や整然と立ち並ぶ共同住宅は、当時の再開発の名残です。

近年、この街にも中国人を数多く見かけるようになりました。

中世の家並みが好みの私にとって、ラ・スペツィアの街歩きは退屈度が非常に高いと言わざるを得ません。

それでも時々来るのは、一見の価値がある美術館や博物館があるからです。

観光客にとって見所が少ないものの、ラ・スペツィアの隣がチンクエテッレであり、しかも公共交通機関が便利なので、チンクエテッレ観光の基地として、この街に訪れる観光客を数多く見かけます。

味気ない家並みが続きます。

教会も新しいものが多いので、教会巡りをする気力が湧きませんが、その代表的存在のドゥオーモだけは行っておきたいと思いました。

戦後、軍事都市の性格を維持しつつ、商港を擁する工業都市として発展して、所得が高い街として知られてます。

高額所得者の多くは高台に住んでいるそうです。

印章博物館になっているパラッツォ・アルティです。

紀元前4000年頃から現代までの約1500点以上の印章が展示されてます。一見の価値がある博物館です。
未だ開館時間前なので扉が閉まっていました。この時の旅では入館しませんでした。(一見の価値は十分にあるものの、二見の価値があるとは思いません)

パラッツォ・アルティの隣はアメデオ・リア美術館です。傑作が多い美術館として知られ、美術ファンにとって必見です。後で入館しました。

ドゥオーモに向かいました。

この街を歩く人たちのスピードが速いのが目立ちます。


Museo Diocesanoの建物です。

ドゥオーモの後に入館しました。

ドゥオーモは港を見下ろす高台にあります。

海岸に向かって歩きました。


Teatro Civico

大通りに出ました。

道幅が広いのは軍事用途に作られた道だからです。

この建物は?

スペツィア=サルザーナ=ブルニャート司教区の司教座教会 Cattdrale di Cristo Reです。

この地にカップッチーニの修道院がありましたが、1927年、当時の教皇ピオ11世がスペツィア=サルザーナ=ブルニャート新司教区の司教座教会建設を決めたのです。
建物の設計はコンペによって行われることになり、その結果、第1位となった合理主義建築家の設計によって、1975年に完成した建物です。
従来の大聖堂建築物と正反対の極めて斬新的なドゥオーモです。

聖堂内部も斬新的です。

ここに初めて来たときにはビックリしました。

あるのは磔刑像だけで、祭壇画や彫刻がありません。


天井の装飾

祭壇

外に出ました。

(つづく)

ラ・スペツィア中央駅に到着しました。

駅舎

駅から30mの、この日のお宿です。

午前中のまだ早い時間でしたが、部屋に入ることが出来ました。荷物を置いて早速街歩きに出発しました。

未だ晴れていましたが、この日の午後は雨になりました。

この日の予定は、ドゥオーモ、司教区美術館、アメデオ・リア美術館と回り、昼食後にポルト・ヴェネーレへの日帰り遠足でした。

ラ・スペツィアは美しい湾を持つ小さな港町でしたが、イタリア統一後、1860年から1865年にかけて築かれたイタリア最大の海軍基地を擁する軍港として大変貌を遂げました。

碁盤の目のように作られた広い道路や整然と立ち並ぶ共同住宅は、当時の再開発の名残です。

近年、この街にも中国人を数多く見かけるようになりました。

中世の家並みが好みの私にとって、ラ・スペツィアの街歩きは退屈度が非常に高いと言わざるを得ません。

それでも時々来るのは、一見の価値がある美術館や博物館があるからです。

観光客にとって見所が少ないものの、ラ・スペツィアの隣がチンクエテッレであり、しかも公共交通機関が便利なので、チンクエテッレ観光の基地として、この街に訪れる観光客を数多く見かけます。

味気ない家並みが続きます。

教会も新しいものが多いので、教会巡りをする気力が湧きませんが、その代表的存在のドゥオーモだけは行っておきたいと思いました。

戦後、軍事都市の性格を維持しつつ、商港を擁する工業都市として発展して、所得が高い街として知られてます。

高額所得者の多くは高台に住んでいるそうです。

印章博物館になっているパラッツォ・アルティです。

紀元前4000年頃から現代までの約1500点以上の印章が展示されてます。一見の価値がある博物館です。
未だ開館時間前なので扉が閉まっていました。この時の旅では入館しませんでした。(一見の価値は十分にあるものの、二見の価値があるとは思いません)

パラッツォ・アルティの隣はアメデオ・リア美術館です。傑作が多い美術館として知られ、美術ファンにとって必見です。後で入館しました。

ドゥオーモに向かいました。

この街を歩く人たちのスピードが速いのが目立ちます。


Museo Diocesanoの建物です。

ドゥオーモの後に入館しました。

ドゥオーモは港を見下ろす高台にあります。

海岸に向かって歩きました。


Teatro Civico

大通りに出ました。

道幅が広いのは軍事用途に作られた道だからです。

この建物は?

スペツィア=サルザーナ=ブルニャート司教区の司教座教会 Cattdrale di Cristo Reです。

この地にカップッチーニの修道院がありましたが、1927年、当時の教皇ピオ11世がスペツィア=サルザーナ=ブルニャート新司教区の司教座教会建設を決めたのです。
建物の設計はコンペによって行われることになり、その結果、第1位となった合理主義建築家の設計によって、1975年に完成した建物です。
従来の大聖堂建築物と正反対の極めて斬新的なドゥオーモです。

聖堂内部も斬新的です。

ここに初めて来たときにはビックリしました。

あるのは磔刑像だけで、祭壇画や彫刻がありません。


天井の装飾

祭壇

外に出ました。

(つづく)
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