チッタデッラは、人口20,133人(2017年6月30日現在)のヴェネト州パドヴァ県にあるコムーネです。
Cittadella_aerea
紀元前2世紀の古代ローマ時代の記録に、この地に街の存在が記されていたそうです。
チッタデッラは、1220年創建のほぼ円形の要塞があることで有名です。
中世の時代、チッタデッラは、パドヴァからアルプスに向かう街道とピアチェンツァからアクイレイアを結ぶVia Postumiaが交差する交通の要衝、またパドヴァ領の前線基地として栄えました。
当時、パドヴァは、トレヴィーゾと対抗していましたが、トレヴィーゾがパドヴァと対抗する前線基地だったカステルフランコとパドヴァの前線基地チッタデッラは互いに敵対する関係でした。そうして、カステルフランコとチッタデッラに互いに堅固な要塞を築かれ、対峙したのです。
しかし、パドヴァもトレヴィーゾも15世紀初頭にヴェネツィア領になってしまい、堅固な要塞はその必要性がなくなってしまいました。
(写真は外部サイトから拝借しました)


166
チッタデッラ駅に到着しました。


168
立派な駅舎ですが、駅員がいない無人駅です。切符は駅舎にあるタバッキで買うことが出来ますが、平日の昼間と日曜日は開店してません。また、駅の1番線に券売機が1台置かれてますが、故障中のことが多くて当てになりません。列車内で車掌から切符を買う人が多いように思います。(車掌は運転席にいます)


170
駅前広場


169
駅から旧市街の要塞に向かうViale della Stazioneです。


171
少し歩けば、要塞内にある塔が見えてきます。


172
Viale della StazioneとVia Borgo Padovaの交差点です。


173
小さな町ですが柱廊が整備されてます。


174
Via Borgo Padova


175
晴れ、曇り、急な俄雨の日だったので、柱廊が有難い。


176
柱廊を抜けると、城壁が眼前にありました。


177
パドヴァ門です。


179
パドヴァ門は城塞の南にあります。東西南北の四か所に門が設けられてます。


182
パドヴァ門の横にあるのがマルタの塔で、、1251年の建設されました。マルタの塔は牢獄として建設され、拷問と残虐な囚人への扱いで、特に敵対するトレヴィ―ゾに恐れられていました。


180
要塞は堀に囲まれてます。


181


178
ほぼ円形の城砦は、直径が約450m、周囲1461m、高さ約30m、厚さ約2.1mあるそうです。


183
パドヴァ門を潜ります。


184


185


189
悪名高きマルタの塔


186
パドヴァを潜ればガリバルディ通りに出ます。


187
パドヴァ門を潜ってすぐ左にあるサンタ・マリア・デル・トッレジーノ教会です。教会の左側壁は城壁にくっつけて建てられており。城塞と一体化した構造になってます。


188
要塞が建設される前、この地にサン・ニコロ教区教会がありましたが、城砦建設を機に取り壊され、その上に城塞と一体化して建設された、城塞都市チッタデッラ最古の教会です。サン・ニコロ教会時代、この付近はメジャニーガ村と言われていました。


190
内部は18世紀に改造されました。
ナポレオンによってヴェネツィア共和国が解体されたことに伴い、この教会はその機能を停止しました。1968年、教会は修復され、宗教活動を再開しましたが、その後、財政難のため、1990年代初めにその機能を再び停止しました。1997年、教会だった建物は市当局の所有となり、現在は展示場、コンサート会場など様々な用途に使用されてます。


192
祭壇画が残されてます。16世紀のパドヴァの逸名画家作の「ピエタ」 パルマ・イル・ジョーヴァネ作説もあるようです。


196
制作者情報不詳の「聖母の教育」


198
ニッコロ・ディ・パドヴァの「パオラの聖フランチェスコ」


199
ニッコロ・ディ・パドヴァの作品


201
逸名画家作「聖家族」(16世紀)


202
この辺の展示は不明です。


203
幼稚園関係の展示?


204
外に出ました。
(つづく)