次の部屋です。
天井が吹き抜けになっている、明るい部屋です。
第24室です。
グラツィオ―ゾ・ファントーニ・イル・ジョーヴァネ(ロヴェッタ、1713‐1798)と工房の「ガニメーデのアルコーヴ(壁の奥に造った寝室)」(1774‐75c)
ガニメーデとは、美少年とか同性愛の若者と言う意味ですが・・・・・
注文主が同性愛者だった?
アレッサンドロ・ヴァロターリ通称パドヴァニーノ(パドヴァ、1588‐ヴェネツィア、1649)の「ティツィアーノ作『バッカスとアリアンナ』のコピー画」(1616‐23c)
ジョヴァンニ・ボナッツァ(ヴェネツィア、1654‐パドヴァ、1736)の「聖ルーカ」、「聖マルコ」(1680‐85)
Giusto Le Court (1627-1679)の「若い男」、「若い女」(1670‐79)
Giusto Le Courtの「老男」、「老女」(1670‐79)
アデオダート・ズッカティ(ボローニャ、1688‐1720記録)の「バラの花」(1690‐1700)
Francois Maria Poncet (Lione, 1736-1797)の「バッカスの頭」(1770‐80)
アレッサンドロ・ヴァロターリ通称パドヴァニーノの「テーティの勝利」(1616‐23c)
トッマーゾ・リーギ(ローマ、1727‐ヴァルサヴィア、1802)の「ヌードの学習」(1750‐60)
フランチェスコ・チェレブラーノ(ナポリ、1729‐1814)の「笑う女の頭」(1750‐60)
フランチェスコ・チェレブラーノの「笑う男の頭」(1750‐60)
トッマーゾ・リーギの「ヌードの学習」(1750‐55)
オラツィオ・マリナーリ(アンガラーノ、1643‐ヴィチェンツァ、1720)の「ルクレツィア」(1700‐10)
ジョヴァンニ・フランチェスコ・アリーギ(ローマ、1646‐1730)の「聖プラツィア」(1726)
ジュゼッペ・ツァイス(フォルノ・ディ・カナーレ、1709‐トレヴィーゾ、1784)の「猟師がいる村の風景」(1770c)
フランチェスコ・ズッカレッリ(ピティリアーノ、1702‐フィレンツェ、1788)の「橋と騎馬の男がいる風景」(1736c)
フランチェスコ・ズッカレッリの「川と羊飼いがいる風景」(1736c)
フランチェスコ・ズッカレッリの「騎馬の男と乞食がいる村の風景」(1748c)
ジュゼッペ・ツァイスの「橋と農民たちがいる村の風景」(1760‐65c)
フランチェスコ・ズッカレッリの「川と農民たちがいる村の風景」(1736c)
アントニオ・フランチェスコ・ペルッツィーニ(アンコーナ、1646c‐ミラノ、1724)とアレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「嵐の海」(1700‐10c)
18世紀前半のヴェネトの逸名画家作「戦いの後の野原」(1700‐10)
カヴァリエール・テンペスタ(1637‐1701)の「羊飼いと動物がいる川辺の風景」(1680‐90)
17世紀後半のイタリアの逸名画家作「戦争の場面」(1670‐80)
15世紀末から16世紀初めに活動したナポリ?の逸名彫刻家作「玉座の聖母子」(1500‐10)
アレッサンドロ・ヴィットリア(トレント、1525‐ヴェネツィア、1608)の「アポロにオ・マッサの肖像」(1587c)
16世紀後半のローマの逸名彫刻家作「聖職者の胸像」(1550‐70)
Francois Duquesnoy (1597-1643)の「プット」(1628‐29c)
Francois Duquesnoyの「プット」(1628‐29c)
Nicolas Cordier (1567c-1612)の「教皇パオロ5世ボルゲーゼの胸像」(1610‐12c)
18世紀前半のローマの逸名彫刻家作「枢機卿の胸像」(1710‐15)
ドメニコ・グイディ(とラーノ、1625‐ローマ、1701)の「アレッサンドロ・ロンディニーニの胸像」(1669‐75c)
アレッサンドロ・ヴァロターリ通称パドヴァニーノの「ティツィアーノ作『ヴィーナスの奉納』のコピー画」(1616‐23c)
アントン・フランチェスコ・アンドレオッツィ(フィレンツェ、1663‐1730)の「十字架を担ぐキリスト」(1685c)
アントン・フランチェスコ・アンドレオッツィの「カルヴァリオへの途」(1685c)
インノチェンツォ・スピナッツィ(ローマ、1718‐フィレンツェ、1798)の「男の胸像」(1787)
Jaques Berge (1696-1756)の「バテシバ」(1736c)
Jaques Bergeの「ダヴィデ王」(1736c)
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新が楽しみです。これだけの記事を書くのが大変でしょう、お疲れ様です。
カッラーラはイタリアで5指に入る美術館です。
先月、チヴィダーレ・デル・フリウリのサンタ・マリア・イン・ヴァッレ修道院で偶然、初老の日本人女性を見かけました。
シニョレッリさんはその修道院に行かれたことがありますか。
その女性から声をかけられて話をしました。修道院を見てもよく分からないと仰せで、簡単な説明をしました。バッグから本を取出し、本に書かれている教会を回っているとの仰せ。
約5分の立ち話で、彼女は美術の初心者と分かり、聞いたらカポディモンテ、カッラーラに行ったことがなく、行ったのはボルゲーゼ、ウフィツィ、アカデミアくらいと判明。
古寺巡礼のその本は、中級者以上向けで、はっきり言って罪作り。ルネサンス、バロックに言及しても先達者がいるので、ニッチのロマネスク狙い。
どう考えてもサンタ・マリア・イン・ヴァッレは初心者が行く場所では非ず。
ルネサンス作品を見て上達してからサンタ・マリア・イン・ヴァッレに行くべき、カッラーラに行くべきと老婆心で助言。
コメント、有難うございます。
件の修道院聖堂には、多分昔行ったことがあるかも知れません。初心者向けではないと、私も思います。
オンリーワンの目的地は近年忌避しているので、古寺巡礼の予定は皆無です。それにロマネスクなどの彫刻などの稚拙さがたまらなく嫌になりました。
それにしても、本の記述に基づき、行っている人がいるとはビックリです。国立美術館に行っても他の入館者と出会うことは滅多ないし、まして日本人となると全くの未経験です。
ビザンチン、ロマネスクから美術を見て行くのはシンドイと思います。美術史の順番通り見て行くなら、原始美術から入門するのが良いと思います。
件の本の著者は素晴らしい経歴学歴の持ち主ですが、美術史家としては傍流と某専門家が言ってました。やっかみがあるのかも知れませんがね。
何処から美術を見て行くのかについては、個人の好みで、何処からでも良いと思います。
ただ、個人的には、お前さんがこの聖堂や修道院に行くのは10年早い、もっと勉強して
から行ったらどうかと思ったりすることがあります。