ホテルに併設されたレストランで夕食です。
自分で食べたものをブログに載せるのは恥ずかしいし、下卑てると思います。
写真を撮ってますが、載せるのは時々です。
これがお腹に応えました。
腹ごなしに外に出ました。ベルガモのアルタですが、昼間は混雑していますが、夕方近くなると人出が減り、夜になると観光客の姿を見かけなくなります。アルタの宿泊施設が限られているのも、その一因でしょう。
珍しく日の丸の旗がありました。
良く見るとG7とEUの旗です。
この建物でG7の会合が行われた?
何もすることがないので、ホテルに戻って寝ました。
翌朝です。
先ず、ドゥオーモの拝観です。しかし、写真はサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の後陣です。
ドゥオーモよりもサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂に近い場所にある洗礼堂ですが、ドゥオーモの洗礼堂です。
サンタレッサンドロ大聖堂です。
この場所にローマ時代の遺跡が発見されてますが、その遺跡は初期キリスト教会と考えられてます。778年の文書に教会の存在が記録されてますが、それが二代目の建物と考えられてます。
現在の建物は15世紀半ばに再建された3代目ですが、1561年、ヴェネツィア共和国によって城壁の建設が決定されましたが、それに伴い3代目の建物の大部分が取り壊されてしまいました。その後、大修復・増築され、19世紀に漸く完成しました。
外部は新古典様式、内部がバロック様式となってます。
外部の見所は特にないと思います。
柱廊天上に描かれたフレスコ画はジョヴァン・バッティスタ・モローニによって描かれたそうですが、殆どが落剝しています。
単廊式、ラテン十字形の内部です。
左側壁
右側壁
中央礼拝堂
主祭壇の中央下部にあるのは聖アレッサンドロの壺です。
後陣の装飾
クーポラのフレスコ画は、フランチェスコ・コゲッティ(ベルガモ、1802‐ローマ、1875)によって1825年から1828年に描かれたそうです。
フランチェスコ・モンティの「聖ジョヴァンニ司教の殉教」
エネア・サルメッジャ通称ダルピーノ(ネンブロ、1575c‐ベルガモ、1626)の「聖家族とパドヴァの聖アントニオ」
サンティ・フェルモ、ルスティコ・エ・プロコーロの祭壇
サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・ジョヴァンニ礼拝堂(18世紀)
カルロ・チェレーザの「天上の聖ヴィンチェンツォ」
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットゥーニの「聖ロレンツォの殉教」
詳細不明
セバスティアーノ・リッチの「聖フェルモ、聖ルスティコ、聖プロコーロ」
ラファエッロ・ダルピーノの「磔刑」
アンドレア・プレヴィターリの「玉座の聖ベネデットと2聖人」
詳細不明
詳細不明
ジョヴァン・バッティスタ・モローニの「天上の聖母子と2聖人」
Cappella dell'Eucarestia
詳細不明
外に出ます。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2)
毎日の更新、お疲れ様です。
昨日で終わったカッラーラ美術館は、全作品紹介の貴重な資料として使わせて戴きます、感謝で一杯です。
先の2か月間のイタリア旅行では、近頃、明るく明瞭な絵画が好きになり、その分野で最も好きになったグエルチーノの作品を追い求めてが、旅の主要目的となりました。
早描きな彼なので、イタリアに約80点の作品があるようで、常時公開作品の大半を観ました。個人所有作品は僅かに1点を観ただけでした。
人間性の向上を目指して、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと変遷してきたので、貴兄がロマネスクが稚拙と仰せは首肯できますが、その稚拙さ、素朴さがロマネスクの特徴、良さです。シニョレッリさんならば、これは言うまでもない事でしょう。
コメント、有難うございます。
私もグエルチーノが大好きです。
グエルチーノだけに留まらず、カラッチ一族、グイド・レーニなどのボローニャ派が大好きです。
グエルチーノの作品リストを見て、完成作品の多さと作品所蔵場所の多さに驚きました。これらを全部見て回るのは本当に大変ですね。
話が少し変わりますが、チェントのMuseo Civicoは再開館したのでしょうか。再オープンしたならば、是非行きたいと思ってます。
ラヴェンナのモザイクで、同じような顔、人物の目玉の異様な大きさとデフォルメが気になるようになりました。