
次の部屋です。

第42室 Sala della Niobe

ニオベはギリシャ神話に出てくる女性です。
ギリシャ神話に出てくる女性や男性の系図がありますが、それを見ても私には理解不能であることには変わりありません。
ニオベは、ゼウスの孫娘で、ゼウスの息子タンタロスが父、巨人アトラースの娘ディオーネが母との間に生まれた娘で、ゼウスの孫であるアムピーオーンと結婚し(近親結婚ですな)、沢山の子宝に恵まれました。7男7女の子沢山を神に誇示した罪で、14人に子供と共にニオベは死罪となったそうです。ギリシャ神話に於いては少子高齢化とは無縁のようです。

ニオベの間には、ニオベに関係する彫刻が置かれてます。
1583年、ローマのブドウ園で、ニオベなどの彫刻が発見されましたが、後にトスカーナ大公フェルディナンド1世となるフェルディナンド・デ・メディチ枢機卿が彫刻を購入して、修復の後、ローマのヴィッラ・メディチに置かれるようになりました。1588年、本物の石膏複製がフィレンツェに送られ、ウフィツィ・ギャラリーで展示されるようになりました。

18世紀後半、トスカーナ大公ピエトロ・レオポルド(ロートリンゲル家)は、ローマのヴィッラ・メディチにあるニオベ彫刻の本物をウフィツィ・ギャラリーで展示したいと考え、その展示部屋として1779年に完成した新古典様式の建物がニオベの間です。

ユストゥス・サステルマンス(1597‐1681)の「フィレンツェ上院のフェルディナンド2世・デ・メディチへの宣誓」(1621)

トンマーゾ・ゲラルディーニ(フィレンツェ、1715‐1797)の作品

トンマーゾ・ゲラルディーニの作品

プシケ(4世紀)
制作された当時、プシケはニオベの娘と考えられていたそうです。

ニオベの息子(4世紀後半)

ムーサ(3世紀)
制作された当時、ムーサはニオベの娘と考えられていたそうです。

ニオベの長男(4世紀後半)

ニオベの息子の教師(4世紀後半)

ニオベの息子?またはナルシス

石棺


詳細不明

ニオベの息子(4世紀後半)

ニオベの息子(4世紀後半)

ニオベの末息子(4世紀後半)

ニオベの長女(4世紀後半)

ニオベと末娘(4世紀後半)

第3廊下に出ました。

元々展示室ではなかった部屋です。将来、この部屋も展示室になるのでしょうか?

次の部屋です。

第45室 Durer e il Rinascimento d'oltralpe

Maestro dei Ritratti Baroncelli(ブルージュ、1480‐1510c活動)の「ピエラントニオ・バンディーニ・バロンチェッリとその妻マリア・ボンチャーニの肖像」(1489c)

ハンス・メムリンク(ゼ―リンゲンシュタット、1435c‐ブルージュ、1494c)の「手紙を手にする男の肖像」(1475‐80c)

ハンス・メムリンクの「玉座の聖母子と2天使」(1480c)

ハンス・メムリンクの「男の肖像」(1490c)

ハンス・ブルクマイアー・イル・ヴェッキオ(アウグスブルク、1473‐1531)の「男の肖像」(1506)

ルーカス・クラナッハ工房の「パリスの判決」(1515‐25c)

ルーカス・クラナッハ派逸名画家作「女性の肖像」(1530c)

16世紀のドイツの逸名画家作「開いた本」(16世紀第1四半世紀)

ハンス・スース・フォン・クルムバッハ(クルムバッハ、1480c‐ニュルンベルク、1522)の「磔刑」(1511‐14c)

アルブレヒト・デューラー(1471‐1528)の「聖母子」(1526)

ルーカス・クラナッハ工房の「マルティン・ルター夫妻の肖像」(1529)

ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオ(1472‐1553)の「アダム」(1528)

角度を少し変えて撮りました。

ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオの「イヴ」(1528)

Piano Secondoの展示室はこれで終わりです。


カフェテリアは閉店しました。


(つづく)
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