モデナは、人口185,045人(2017年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州モデナ県の県都です。
モデナ駅に到着しました。
前泊地がパルマだったので、朝のまだ早い時間の到着です。
モデナの駅舎
先ず、この日のお宿に向かいました。
翌朝も早い時間の出発予定だったので、駅近くのホテルを選びました。
この日のお宿は通りの向こうにあるホテルです。
大きな荷物をホテルに預かって貰い、身軽になって外出しました。
ドゥカーレ宮殿の裏側です。
この日の予定は、エステンセ美術館の展示作品の写真を撮ることと、鑑賞を同時にやって、時間があれば教会巡りなど他のことをやるというものでした。
展示作品の写真を撮ることと、鑑賞は両立しないので、通常2日に分けて二回入館することにしています。旅程の都合で、モデナで2日費やすことが出来ませんでした。
サン・ドメニコ広場
サン・ドメニコ教会
通勤の人たちが足早に職場へと急いでいました。
朝日が眩しい。
ローマ広場
エステ家の居城だったドゥカーレ宮殿です。
宮殿の建物は現在、陸軍士官学校として使用されているので、土日に限られた時間にガイド付きツアーのみ内部に入ることが出来ます。
昔、一度入ったことがありますが、ゆっくりとみて回るのが無理なので、二度と入るつもりがありません。
Via Luigi Carlo Farini
道路の上にZTLと書かれてます。
サン・ジョルジョ教会
メルカトに寄り道することにしました。
バルサミコを買うつもりでした。
エステンセ美術館の入館前にメルカトに行きたくなかったけれど(荷物が邪魔になります)、午後2時頃にメルカトは閉まるし、美術館を午後2時以前に切り上げるのは無理なので、その辺は仕方がありません。
物価が安い。
モデナは美食の街です。
楽なスケジュールを組んだので、急ぐ必要がありません。
Torre Civica o Torre Ghirlandina
高さが87mあります。修復が終わって、再び上れるようになりました。
塔の下にあるのは、詩人、作家のアレッサンドロ・タッソーニ(モデナ、1565‐1635)像です。
ドゥオーモの後陣
市庁舎
街の中心、グランデ広場
ドゥオーモの身廊側扉は閉まったままでした。
1048年創建ですが、数度にわたって拡張工事が行われたPalazzo Comunaleです。
澄み切った秋の青空
ドゥオーモのファサード側扉は開いている筈です。
架線はトロリーバスのものです。モデナではトロリーバスが主流です。
聖ジローラモのテラコッタ
Corso Duomo
ファサード側の扉が開いていたので拝観しました。
ドゥオーモについては、後程項を改めて触れることにします。
(つづく)
モデナ駅に到着しました。
前泊地がパルマだったので、朝のまだ早い時間の到着です。
モデナの駅舎
先ず、この日のお宿に向かいました。
翌朝も早い時間の出発予定だったので、駅近くのホテルを選びました。
この日のお宿は通りの向こうにあるホテルです。
大きな荷物をホテルに預かって貰い、身軽になって外出しました。
ドゥカーレ宮殿の裏側です。
この日の予定は、エステンセ美術館の展示作品の写真を撮ることと、鑑賞を同時にやって、時間があれば教会巡りなど他のことをやるというものでした。
展示作品の写真を撮ることと、鑑賞は両立しないので、通常2日に分けて二回入館することにしています。旅程の都合で、モデナで2日費やすことが出来ませんでした。
サン・ドメニコ広場
サン・ドメニコ教会
通勤の人たちが足早に職場へと急いでいました。
朝日が眩しい。
ローマ広場
エステ家の居城だったドゥカーレ宮殿です。
宮殿の建物は現在、陸軍士官学校として使用されているので、土日に限られた時間にガイド付きツアーのみ内部に入ることが出来ます。
昔、一度入ったことがありますが、ゆっくりとみて回るのが無理なので、二度と入るつもりがありません。
Via Luigi Carlo Farini
道路の上にZTLと書かれてます。
サン・ジョルジョ教会
メルカトに寄り道することにしました。
バルサミコを買うつもりでした。
エステンセ美術館の入館前にメルカトに行きたくなかったけれど(荷物が邪魔になります)、午後2時頃にメルカトは閉まるし、美術館を午後2時以前に切り上げるのは無理なので、その辺は仕方がありません。
物価が安い。
モデナは美食の街です。
楽なスケジュールを組んだので、急ぐ必要がありません。
Torre Civica o Torre Ghirlandina
高さが87mあります。修復が終わって、再び上れるようになりました。
塔の下にあるのは、詩人、作家のアレッサンドロ・タッソーニ(モデナ、1565‐1635)像です。
ドゥオーモの後陣
市庁舎
街の中心、グランデ広場
ドゥオーモの身廊側扉は閉まったままでした。
1048年創建ですが、数度にわたって拡張工事が行われたPalazzo Comunaleです。
澄み切った秋の青空
ドゥオーモのファサード側扉は開いている筈です。
架線はトロリーバスのものです。モデナではトロリーバスが主流です。
聖ジローラモのテラコッタ
Corso Duomo
ファサード側の扉が開いていたので拝観しました。
ドゥオーモについては、後程項を改めて触れることにします。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2)
こういう面がイタリアのよさであり、強みであると思います。
いきなり失礼しました、シニョレッリさんその後お元気ですか?私は元気です。
モデナ、パヴァロッティの人生に興味がわいたので、イタリアに行けるようになったら訪ねるつもりです。そのために、こちらで勉強していきます。
それで、シニョレッリさん、無理かもしれないのですが、モデナの1から順に、下にスクロールできると助かるのですが。たいへんなら聞き流してくださいね。
もうひとつ。本の感想です。まだ途中なのですが。パヴァロッティはご他聞にもれずマンマが好きな男性だったのかなーと。別に変わった人ではないですけど。だから最初の妻だと安心して面倒みてもらえたのでしょうね(最期)。
まだ読み足りないので、また感想はおいおい。
それで、興味深いことに、ドキュメンタリー映画のあと、歌を学んだ友人知人は口をそろえて「パヴァロッティも努力の人だったのだな」みたいなことを言うのです。そのへんは私は本格的に学んだこともないのでふ~んとしかわかりませんが。あの映画にしろ、この本にしろ、パヴァロッティのことをいい意味でも悪い意味でも一般人の私たちに考えさせる功績はあったのかもですね。(途中なのに感想の一部を送ってすみません)
また感染増になってきています、お身体を大切になさってくださいね。
> >宮殿の建物は現在、陸軍士官学校として使用されているので
> こういう面がイタリアのよさであり、強みであると思います。
確かにその通りですが、観光客にとっては残念な一面があります。
例えば、フランス大使館になっているファルネーゼ宮は時間をかけてゆっくり宮殿内を見学したいところですが、ツアーで一般公開とは言え、行くことが出来る場所が限定され、時間も制約されてます。
> シニョレッリさんその後お元気ですか?私は元気です。
お気遣い有難うございます、元気に呼吸してます。
> それで、シニョレッリさん、無理かもしれないのですが、モデナの1から順に、下にスクロールできると助かるのですが。たいへんなら聞き流してくださいね。
私側の問題ではなく、ブログの作り自体が対応していないと思います。
> もうひとつ。本の感想です。
> まだ読み足りないので、また感想はおいおい。
葬儀というものは、参列できない理由を敢えて挙げようとすれば、誰しも理由があるのが普通です。それでも万障繰り合わせて参列するのが葬儀でしょう。
彼はオペラ界で生き成功したにも拘らず、オペラ界からの葬儀参列者が4人に留まった、国葬級の葬儀に於いて。
本とは別に、私は彼の悲劇性をこの点で感じます。
> それで、興味深いことに、ドキュメンタリー映画のあと、歌を学んだ友人知人は口をそろえて「パヴァロッティも努力の人だったのだな」みたいなことを言うのです。
運と努力があったからこそ成功したと思います。
> また感染増になってきています、お身体を大切になさってくださいね。
有難うございます、nasakuraさんもね。