第4展示室の天井装飾
Maestro toscanoの「フランキーノ・ルスカの霊廟」(1350c)
コモのサン・フランチェスコ教会にありました。
ロンバルディアの現存するゴシック様式の霊廟のうち、最も保存状態が良いとされてます。
ロンバルドの彫刻家作「月桂冠を受けた詩人」(14世紀)
ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリ(ポルディ・ペッツォーリ美術館はジャン・ジャコモが個人収集した作品が主に展示されてます)が所有していましたが、ミラノ市に寄贈した作品です。
第5室の小礼拝堂に移動します。
19世紀末に行われた修復以前、この部屋はレオナルド・ダ・ヴィンチがイル・モーロ時代に装飾した「黒の部屋」と思われていましたが、装飾の痕跡さえも見つからず、「黒の部屋」説は否定されるようになりました。
部屋の歴史について、もう一つ説があって、それは、16世紀前半、ミラノ公フランチェスコ2世スフォルツァの、デンマーク出身の妻クリスティーナの化粧室だったということですが、この説も確証がないようです。
木彫りの磔刑像(14世紀)
ボニーノ・ダ・カンピョーネ(カンピョーネ・ディターリア、1325c‐1397c)の「聖母子」(1360c)
Maestro venetoの「天使の灯火台」(14世紀)
ミラノ郊外のチェルヌスコ・スル・ナビーリオ教会にありました。
Maestro venetoの「天使の灯火台」
「聖母子の壁龕」(14世紀初め)
次の部屋です。
「座る勇者とドラゴン」(12世紀末)
ポルタ・ロマーナの彫刻の一部です。
「慎みがない女像」(12世紀末)
ポルタ・ロマーナにありましたが、16世紀、当時の大司教カルロ・ボッロメオによって取り外されたそうです。
ドメニコ・エ・ランフランコ・ダ・リグルノの「3修道士」(13世紀)
「聖アンブロージョの奉納タベルナコロ」(12世紀)
「3聖人」(13世紀)
「聖アレッサンドロ」(13世紀)
詳細不明
「福音書記者のシンボル」(12世紀)
Arte Campioneseの「聖アンブロージョの浮彫」(14世紀)
「理念に捧げた宗教行列の場面」(12世紀)
ミラノのサンタ・マリア・イン・ベルトラーデ教会にありました。
「聖アンブロージョの浮彫」(14世紀)
次の部屋です。
天井に描かれたスペインの紋章
「ミラノのゴンファローネ」
非常に豪華で一見に値します。
最初、下絵はジュゼッペ・アルチンボルド(ミラノ、1526‐1593)に依頼され、さらにジュゼッペ・メーダ(ミラノ、1534‐1599)に引き継がれ、ブリュッセルで織られました。
「神の制裁をアハブ王に説くエリア」
ミッシェル・コクシーが下絵を描き、1550‐1560年にブリュッセルで織られました。
ストロド・ロレンツィ(セッティニャーノ、1534‐ピサ、1583)の「アダム」
次の部屋です。
第11室になります。
レオナルド・ダ・ヴィンチが装飾した第8室の板張の間、それに第9室、第10室は閉鎖されていました。
天井にミラノ公爵の家紋が描かれてます。そのため、この部屋は「ミラノ公爵家紋の間」と呼ばれてます。
ヤコピーノ・ダ・トラダーテ(トラダーテ、14世紀後半‐マントヴァ、1445)の「聖母子」
ヤコピーノは、1401年から1440年までの約40年ミラノに居住したそうです。
Maestro Lombardoの「聖母子」(15世紀中頃)
「永遠の父なる神」(15世紀第1四半世紀)
Scultore Lombardoの「聖母と信者」(15世紀後半)
アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418‐ペルージャ、1481c)の「至上の象徴の浅浮彫」
「キリストのモノグラムの板」(15世紀後半)
(つづく)
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