トレヴィのコムナーレ博物館です。
博物館はオリーブ、考古学。絵画などの部門に分かれてます。
展示作品数は少ないですが、傑作が幾つかあります。
コムナーレ博物館については、項を改めて詳しく触れる予定です。
博物館として使用されている旧サン・フランチェスコ教会の建物です。
15世紀に建設されたモルト門を潜りました。
モルト門に描かれたフレスコ画(18世紀)です。制作者は不祥のようです。
モルト門を潜って、村の中心マッツィーニ広場に出ました。
広場に面して建つPalazzo Comunale、村役場です。13‐14世紀に建設されたそうです。
村役場の横にある「村の塔」です。13‐14世紀に建設された塔です。
次はペルジーノの作品が残るマドンナ・デッレ・ラクリメ教会です。
1485年に創建されたマドンナ・デッレ・ラクリメ教会です。
ペルジーノの「マギの礼拝」(1521)
制作者不明の「聖母子」(15世紀)
次はドゥオーモです。
細い道のベアート・プラチーダ通りの突き当りにドゥオーモがあります。
地元の人々からドゥオーモと呼ばれているサンテミリアーノ教会です。教区教会にも格付けされていないようです。
道幅が狭いので、ファサード全体の写真を撮るのが難しい教会です。
この場所に、既に3世頃には初期キリスト教会の存在を示す記録が残されているそうです。
12世紀、その初期キリスト教会を取り壊し、その上に建設されたロマネスク様式の教会が前身です。
15世紀、建物は拡張されることになり、それに伴いルネサンス様式に改造されました。
その後、地震、落雷、火災の被害を受け、建物が老朽化したので、19世紀後半に建築家ルーカ・カリミ―ニの設計によって、15世紀の改造後の姿を出来るだけ生かしながら、再建されました。
この部分だけ15世紀の改築のものです。
ファサードにある聖エミリアーノ像(13世紀)です。
聖エミリアーノは、トレヴィを含む司教区の最初の司教でしたが、304年、棄教を拒んでトレヴィ郊外で拷問の饐えに殉教したのです。この教会に聖エミリアーノの聖遺物が残されてます。
トレヴィの守護聖人になっています。
ドゥオーモの外壁にフレスコ画が残されてます。
15世紀のウンブリアの逸名画家の作品です。
扉が閉まっていたのでガックリしました。念のため、扉を押したら、扉が開きました。このようなこともあるのです、ビックリしました。
中に入りました。
1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震によって大きな被害を受け、大修復されたので柱が新しく見えます。
1997年のウンブリア・マルケ地震で、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画が崩落してしまいました。
後陣
この中に聖エミリアーノの聖遺物(心臓)が収められているそうです。本当?
ロッコ・ダ・ヴィチェンツァと工房による「秘跡の祭壇」(1521)
秘跡の祭壇がドゥオーモの見所とされてます。
祭壇画もロッコ―ダ・ヴィチェンツァの作品ですが、傷みが激しくて何が描かれているのか判然としません。
アル・メランツィオに帰属する「聖母子」
初代の建物にあったフレスコ画で、15‐16世紀に制作されました。
ウンブリアの逸名画家作「玉座の聖母子と聖人たち」
一般的に地震や火災などの被害を受けた教会には、フレスコ画や祭壇画の傑作があまり残されていません。
この教会の傑作とされていた彫刻や祭壇画は、ナポレオンのイタリア侵攻の際に殆ど全部がフランスに持ち去られ、戻されていないのです。
詳細不明
開いていただけで幸運でした。
外に出ました。如何にもウンブリアらしい佇まいです。
壁にフレスコ画が描かれた民家があります。
前回見た時よりも痛みが進みました。
受胎告知ですね。
村の中心のマッツィーニ広場が最高地点のようで、後は下り坂ばかりのようです。
下り坂は楽でした。
あちこち歩きましたが、城壁沿いの道に出てしまいました。
もっと見て回るつもりでしたが、雨が降ってきました。
直ぐに雨が強くなってきたので、駅までの道のりを考えて駅に向かうことにしました。
振り返って旧市街を撮りました。
(おわり)
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