
国立美術館に入館しました。
ファルネーゼ劇場から美術館に入る順路では、古い作品から新しいものへとほぼ年代順に見ることが出来ますが、従来の出口から中に入ったので、新しい作品から見ることになり、少し戸惑いました。

19世紀の作品が並ぶホールです。

胸像が並んでますが、作品の説明プレートがないので、それらの紹介を省略します。

これは、パルマの人なら直ぐに分かる有名な作品ですが、作品の説明プレートがありません。
この作品がここにある理由もパルマ人ならば、直ぐに分かるそうです。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「マリー・ルイーズ女公爵の肖像」
マリー・ルイーズ(ウィーン、1791‐パルマ、1847)は、神聖ローマ帝国の皇帝フランツ1世の娘で、フランス皇帝ナポレオン1世の皇后でした。
1814年、ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序を定めたウィーン会議によって、マリー・ルイーズのパルマ公国統治が決定されました。女公爵在位は、1814年から1847年でした。
パルマに在住していたマリー・ルイーズは、パルマ所縁の画家、特にコレッジョとパルミジャニーノの作品収集に力を入れ、その結果、この美術館の作品拡充に資することになったのです。

ジョゼフ・レベッル(ウィーン、1787‐ドレスデン、1828)の「時化」

ジョゼフ・レベッル(ウィーン、1787‐ドレスデン、1828)の「月夜の時化のナポリ湾」

ローマ時代の彫刻「ヘラクレス」(2世紀)

ローマ時代の彫刻「ファウヌス(森の神)とバッカス」(2世紀)

コレッジョとパルミジャニーノの作品を見ることに。

「La Rocchetta」と呼ばれている場所です。
マリー・ルイーズ女公爵はコレクションを増やしましたが、ここをコレッジョ作品を主に展示する場所としたのです。

作品が取り外されていました。

アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「受胎告知」(1521‐25c)

制作者情報不詳の「パルミジャニーノ作『聖母子と聖ジローラモとフェルトレのベアート・ベルナルディーノ』の複製画」(17世紀初頭)

制作者情報不詳の「コレッジョ作『聖母子と聖マリア・マッダレーナと聖ルチア』の複製画」
何処かで見たことがある作品と思いました。オリジナルはミラノのブレラ絵画館にあります。

アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)とアゴスティーノ・カラッチ(ボローニャ、1557‐パルマ、1602)の「コレッジョ作『天使たち』の複製画」(16世紀末)

同断

パスクゥアーレ・テスタ(パルマ、1524‐1587)工房作のキャビネット

キャビネットの寄せ木細工



開館日の平均入館者数は200人弱となってます。

アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母戴冠」(1522c)

アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「エジプトへの逃避途中の休息」


次の部屋です。

アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「ドゥオーモ・クーポラの聖母被昇天のシノピエ」

アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「スカラの聖母」(1524c)

アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母子と聖ジローラモと聖マリア・マッダレーナ」

La Rocchettaの廊下のような展示室です。

パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」
コレッジョとパルミジャニーノがパルマに残したフレスコ画のTraduzioneです。traduzioneは翻訳とか通訳と言う意味です。パオロがコレッジョとパルミジャニーノが残したフレスコ画を彼なりに理解して制作したコピー画のようなものでしょう。

パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」

パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」

パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」

パオロ・トスキ(パルマ、1788‐1854)の「Traduzione」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「パオロ・トスキの肖像」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「パルミジャニーノ作『聖アガタ』の複製画」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「パルミジャニーノ作『聖ヴィターレ』の複製画」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョ作『スカラの聖母』の複製画」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製画」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製画」

カルロ・ライモンディ(ボッケ・ディ・カターロ、1809‐パルマ、1883)の「コレッジョがサン・パオロの部屋に描いたフレスコ画の複製画」
(つづく)
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