見えているのは、サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂と歌劇場です。
ステッカータ広場にやってきました、道路の向こうは広場の名称が変わってガリバルディ広場になります。
広場に立つジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント像
時計塔がある建物はPalazzo del Governatore
サン・ピエトロ教会に行ってみることに。
955年の記録にサン・ピエトロ教会がこの地にあったことが記されているそうです。初代の建物を取り壊し、その上に新しいゴシック様式の建物が1418年から1492年にかけて再建されました。
現在の新古典様式の建物は、1707年から1762年に建て替えられた三代目のものです。
ファサードのスタッコはべニーニョ・ボッシ(アルチザーテ、1727‐パルマ、1800)の作品です。
単廊式、新古典様式の内部です。翼廊がありません。
左側壁
右側壁
クレメンテ・ルータ(パルマ、1685‐1767)の作品です。
「聖ジュゼッペの死」
べニーニョ・ボッシの作品です。
べニーニョ・ボッシによるスタッコ装飾
クーポラのフレスコ装飾はジョヴァンニ・アントニオ・ヴェッツァーニ(パルマで18世紀前半活動)によるものです。
詳細不明の磔刑像です。
主祭壇画
アレッサンドロ・マッツォーラ(パルマ、1533‐1608)の「聖母子と2聖人」
主祭壇前から見た出入口方向
祭壇をもう一度見てから外に出ました。
観光案内所でバスの時刻と発着場を確認しました。パルマ新駅のオープンによって、バスの発着場が変わりました。
レプッブリカ通りです。見えているのはサン・ヴィターレ教会ですが、教会の扉が閉まっていました。
次はサンタ・ルチア教会です。
カヴール通りに戻りました。
カヴール通りに面して建っているサンタ・アルチア教会です。
サンタ・ルチア教会です。
1223年創建、1294年に奉献式が執り行われたサン・ミケーレ教会がこの場所にありましたが、そのサン・ミケーレ教会が現在のサンタ・ルチア教会の前身です。
16世紀後半、サン・ミケーレ教会の建物は老朽化のため荒廃してしまったので、それを取り壊し、その上に新しい建物が再建されることになりました。
そうして、1615年に創建され、17世紀後半に建物が完成しました。1697年に再建されたバロック様式の建物の奉献式が執り行われました、それを機に捧げる聖人が大天使ミケーレから聖ルチアに変更され、教会の名称がサンタ・ルチア教会と改称されました。
ファサードはマウロ・オッディの設計です。ファサード・ニッチの彫像「聖ビアージョ」と「聖ルチア」はジャコモ・バルビエーリの作品です。
単廊式、バロック様式のこじんまりした内部です。
壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。
フィリッポ・マリア・ガレッティ(フィレンツェ、1638‐1714)によるフレスコ画
クーポラのフレスコ画もフィリッポ・マリア・ガレッティ(フィレンツェ、1638‐1714)によって描かれました。
聖母被昇天
主祭壇
主祭壇画は、セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖ビアージョから聖体拝領する聖ルチア」(1730)
この作品はセバスティアーノ・リッチの代表作とされてます。
アントニオ・リゴーリの「聖霊降臨」
オルガン
アントニオ・リゴーリの「天上の聖母子と聖パオロと聖フランチェスコ」
セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖セバスティアーノと聖ロッコ」
ジュリオ・チェーザレ・アミダーノ(パルマ、1572‐1629)の「聖母子と聖ルチアとシチリアの聖アガタ」
詳細不明
説教壇
詳細不明
ファサードの裏側の壁にもフレスコ画が描かれてます。
外に出ます。
(つづく)
コメント