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サンタゴスティーノ通りの坂を上っていきました。


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サンタゴスティーノ通りに面して建つサン・フランチェスコ・ディ・メルカンティ教会です。


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この教会も1908年の大地震とその直後に襲った大津波によって倒壊したので、1930年に新築再建されました。


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通りは坂になってますが、大津波は坂を上って来た訳です。


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カルロ・ファルコニエーリの「ファルコニエーリのフォンターナ」(1842‐43)


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このフォンターナは別の広場にありましたが、1908年の大震災で若干の被害を受け、解体されて1957年まで州立美術館で展示されていましたが、同年、現在のこの広場 Piazza Basicoに移設されたそうです。


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Piazza Basicoを見下ろす建物です。


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階段を上ってクリスト・レ教会に向かいました。


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更に坂を上りました。


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大津波は、この場所まで駆け上がって来たそうです。


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1937年創建、バロック様式のクリスト・レ教会です。


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この場所にメッシーナ防衛のための堅固なモンタグリオーネ城がありました。


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美術的には見所がない教会なので、拝観しませんでした。


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坂を下りました。


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1930年に建設されたNuovo Oratorio della Paceです。


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この場所には、1608年に建設されたサン・ドメニコ教会がありましたが、1908年の大震災で完全に破壊されてしまいました。


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大震災後に築かれた通りと建物です。


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海抜何メートルならば、大津波に対して安全なのか、考えておかねばならないと思いながら、この辺を歩きました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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ファサードの方に行かないと、ガッレリーアとは分からないと思います。


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アントネッロ広場に面したヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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メッシーナ出身の建築家カミッロ・プグリシ・アレグラ(メッシーナ、1884‐ローマ、1961)の設計によって、1924年から1929年に建設されたヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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アントネッロ広場に面して建っている建物です。


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アントネッロ広場に面して建つ建物は大震災の復興の象徴として建てられたそうです。


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Palazzo dei Leoni


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ドゥオーモの鐘楼です。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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18世紀のメッシーナの彫刻家ジュゼッペ・ブチューティの「無原罪の御宿リ」(1758)
別の場所に置かれていましたが、1908年の大震災によって被害を受け、別の場所で保管されていましたが、1979年に復元されて、ドゥオーモ広場に置かれるようになりました。


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鐘楼は修復工事中でした。


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ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


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ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソーリ(フィレンツェ、1507‐1563)の「Fontana di Orione」(1553)
モントルソーリはミケランジェロの弟子です。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソーリは、甥で弟子のマルティーノ・モンタニーニ・ディ・バルトロメオ通称マルティーノ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1505‐1562)と共にメッシーナを訪れ、地元の彫刻家の協力を得て短期間で完成したと言われてます。


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メッシーナのドゥオーモです。


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紀元前7世紀初めに、この場所にあった寺院が前身とされてます。それが初期キリスト教会として転用されたそうです。


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メッシーナがアラブによって占領された期間、モスクに転用されたそうです。


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拝観しました。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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メッシーナを襲った数々の地震や雷雨によって被害を受け続けていましたが、1908年に起きた最初の地震によって建物は完全に倒壊してしまいました。


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その後の長い修復を経て蘇ったのも束の間、今度は1943年6月13日、連合国の爆撃によって、被害を受けてしまいました。
現在の姿は1947年の修復後のものです。


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(つづく)