メッシーナのドゥオーモ、Basilica Cattedrale Metropolitana della Madonna della Letteraです。
メッシーナ=リパーリ=サンタ・ルチア・デル・メーラ大司教区の大司教座が置かれている教会です。
1947年、当時の教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格しました。
紀元前7世初め、この場所にTempio di Nettunoがあった記録があり、後に初期キリスト教会に転用されたとされてます。
教会独自の建物は530年に建設されました。アラブによって支配された約200年間はモスクに転用されました。
その後、地震、火災、落雷などによって幾度となく被害受けた建物は、再建、修復を繰り返した歴史があります。
1908年12月28日の夜に起きたメッシーナ地震の最初の大きな揺れによって、完全に崩壊してしまい、震災の後に再建された建物がほぼ現在の姿となってます。
1943年6月13日、連合国の空襲によって大きな被害を受けてしまい、戦後に修復された後の姿を現在見ることが出来るのです。
ファサードは、彫刻や外壁、モザイクなどの殆どは失われたオリジナルの忠実な複製となってます。
高さ60mの鐘楼は、1908年の大震災によって倒壊してしまい、その後にオリジナルの形に再建されたものです。
マルティーノ・モンタニーニ・ディ・バルトロメオ通称マルティーノ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1505‐1562)によって再建された鐘楼が現在の姿の原形です。
1559年、再建された鐘楼は落雷と落雷による火災によって消失してしまい、1564年に再建されました。
その後、1693年、1783年、1863年の地震によって大きな被害を受け、大修復されました。
鐘楼の時計は、1933年、Ungerer di Strasburgoによって作られました。
時計は天文時計、からくり時計から成ってます。
ゴシック様式の入り口横彫刻のオリジナルは、アントニオ・バボッチョ・ダ・ピペルノ(プリヴェルノ、1351‐1435)の作品(1412)です。1908年の大震災後に制作されたオリジナルの忠実な複製です。
同断
中央扉上ルネッタの彫刻は、ジョヴァン・バッティスタ・マッツォ―ロ(カッラーラ、?‐1550)の「聖母子」(1534)の、1908年の大震災後に制作された複製です。
その背後に描かれたフレスコ画は、レッテリオ・スッバ(メッシーナ、1787‐1868)によって大震災後に制作されました。フレスコ画のオリジナルは、ポリドーロ・カルダーラ・ダ・カラヴァッジョ通称ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1499/1500c-メッシーナ、1543c)によって描かれました。
聖母戴冠を含む彫刻のオリジナルは、ピエトロ・ダ・ボニターテ(ロンバルディア、15世紀生まれ‐シチリア、16世紀没)によって1464年から1477年に制作されました。現在のものは、オリジナルの忠実な複製彫刻です。
右扉上ルネッタのオリジナルは、ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョによって制作されました。
中に入りました。
ごく一部を除いて、1908年の大震災後に、倒壊前の姿を忠実に再現再建された内部です。
縦92m、横30.5mの大きさです。
内陣の高さは25mあります。
1908年の大震災後のモザイク
主祭壇
中央礼拝堂と後陣
主祭壇の聖母子は14世紀のものです。
中央礼拝堂後陣のモザイク「万能のキリスト」は、14世紀制作のオリジナルを忠実に再現したもので、ジュリオ・アリスティーデ・サルトリオ(ローマ、1860-1932)によって1930年に制作されました。
説教壇
右側廊
後陣右にある聖プラチド礼拝堂です。
インノチェンツォ・マンガーニ(フィレンツェ、1606-パル三、1678)の「チブレオ」(17世紀)
復元されたモザイク
後陣右の礼拝堂は修復工事中でした。
復元された柱頭
左右の側壁にニッチがあり、それぞれのニッチに彫刻が置かれてます。
全ての彫刻は、1908年の大震災の後に、20世紀前半の彫刻家によってオリジナルの形に復元されたものです。
これは、ニコロ・リケーロの「被昇天の聖母」
「聖パオロ」
ニッチの彫刻全てのオリジナルの制作者、複製彫刻の制作者が分かってますが、ここでは省略します。
「聖ジャコモ・マッジョーレ」
「聖トッマーゾ」
「聖ジャコモ・ミノーレ」
「聖マッテオ」
「聖タッデオ」
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」
以上は右側壁ニッチの彫刻でした。
左側壁ニッチに移ります。
左側廊
「聖ヴィットリオ・デ・アンジェリカ」
右側壁の他ニッチの彫刻は省略します。
外に出ます。
(おわり)
コメント