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引き続きSala del Concistoroのドメニコ・ディ・ヤコポ・ディパ―チェ通称イル・ベッカフーミ別称ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486‐シエナ、1551)のフレスコ画の紹介です。


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ドメニコ・ベッカフーミの「マルクス・アエミリウス・レピドゥスとマルクス・フルウィウス・フラックスの和解」(1529‐1535)
共和制ローマ時代のことを知らないとチンプンカンプンです。


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ドメニコ・ベッカフーミの「自分の息子を断罪するアウルス・ポストゥミウス・トゥベルトゥス」(1529‐1535)


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ドメニコ・ベッカフーミの「スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスの処刑」(1529‐1535)


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ドメニコ・ベッカフーミの「プブリウス・ムツィウス」(1529‐1535)


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ドメニコ・ベッカフーミの「アテネのコドロン王の犠牲」


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ドメニコ・ベッカフーミの「スプリウス・マエリウスの遺体をルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスに示すガイウス・ストルクトゥス・アハラ」(1529‐1535)


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このような作品を見ると自分の教養の無さを感じることがあります。


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ローマ時代の人物の名前が複雑で困ります。


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部屋を出ます。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」を横目で見ながらAnticamera del Concistoro を経由して次に向かいました。


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突き当りの部屋がシエナ市立美術館の最大の見所ですが、写真左にある礼拝堂を先に見ます。


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鉄柵の先が礼拝堂です。


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Anticappella e Cappella di Palazzo


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礼拝堂は見逃せません。


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見所は祭壇画、壁のフレスコ画、聖歌隊席などです。


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左側壁


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右側には壁がなくて、礼拝堂の向こうはSala del Mappamondoへと素通しになってます。


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全ての壁全面にフレスコ画が描かれてます。


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聖歌隊席


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礼拝堂のフレスコ画は、タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)によって1406年から1408年にかけて制作されました。


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ヴォールトのフレスコ画もタッデオ・ディ・バルトロの作品です。


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「聖母の使徒たちとの暇乞い」(1406‐08)


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「聖母の死」(1406‐08)


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「2聖人」(1407)


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音楽天使たち


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礼拝堂の祭壇


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ロレンツォ・ディ・マリアーノ通称イル・マッリーナ(シエナ、1476‐1534)の大理石祭壇


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祭壇画は、ジョヴァンニ・アントニオ・バッツィ通称イル・ソドマ(ヴェルチェッリ、1477‐シエナ、1549)の「聖家族と聖レオナルド」(1530)
この作品はシエナのドゥオーモにありましたが、17世紀に移されたそうです。


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1407)


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タッデオ・ディ・バルトロ(シエナ、1362c‐1422)の「聖アゴスティーノ」


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(つづく)