ヴェローナ観光となれば、アレーナと「ロメオとジュリエット」となります。
ウイリアム・シェイクスピアが1595年頃に書いた戯曲「ロメオとジュリエット」を、ヴェローナ市当局が観光のために現実にしてしまった一環の一つがジュリエッタの家であり、Museoと思います。
ヴェローナに行ったことがないシェイクスピアがヴェローナを舞台にした戯曲を書いたのは、ルイージ・ダ・ポルトの著作(1531c)を原本にしたと言われてます。ルイージの著作にも原本があって、シエナを舞台にした悲恋物語という説があり、その説が正しいとすれば舞台をシエナからヴェローナに移して詩人の物語を著作したということになります。
実在しなかったジュリエッタGiulietta Cappelletti(Giulitta Capuleti)の家をこの場所Via Cappello 23にある建物にするには、かなりの努力が必要だったと思います。
中世のヴェローナの記録には、そもそもCappelletti家の存在記載がないそうです。
Via Cappello の周辺に大商人カッペッロ家の住居と家作があり、その一部が14世紀に病院として転用された建物が現在のジュリエッタの家になっているようです。
19世紀末に「ジュリエッタの家」になったのです。
このような事情から、このMuseoの紹介にはあまり気が進まないのですが、ヴェローナ観光の目玉であることは事実なので敢えて取り上げる次第です。

エルベ広場です。
写真手前を逆方向に進みます。

Via Cappelloを少し進みます。

エルベ広場から僅かの距離にジュリエッタの家があります。

写真左の煉瓦積みの建物がジュリエッタの家です。

ジュリエッタの家の入り口です。

入口から中庭に出るアーチの左右両壁に落書き用ボードが用意されてます。

直ぐにボード一杯に書かれるので、数年毎にボードが交換されると聞いたことがありますが、真偽のほどは?

中庭です。

ジュリエッタ像

男性も女性も触るジュリエッタ像の右乳房

ジュリエッタ像の後壁

愛の絆の鍵ということでしょうか?この場所に鍵をかけたカップルのうち、離別(婚)率はどのくらいになるのか、皮肉屋の私には気になる所です。

ホテルだった時代もあったらしい?

有名なバルコニーの下にMuseoの入り口があります。

中に入った直ぐの所にもジュリエッタ像があります。こちらの方は右乳房に触るのは禁止です。

制作者不明の「ウイリアム・シェイクスピア(ストラットフォード・アポン・エイボン、1564‐1616)の胸像」


階上に向かいます。

1階(日本の2階)の展示室です。

「ロメオとジュリエット」に欠かせないバルコニー
バルコニーの経緯を知ると、このMuseoの性格が分かります。

ヴェローナ産の大理石はこのような色をしてますが、バルコニー制作のための大理石は14世紀の遺跡から発掘され、1920年までカステルヴェッキオで保存されていました。それをこの場所に移して、新たにバルコーニ―を制作したのです。ご覧のように大理石を継ぎ合わせてバルコニーに仕上げた痕跡が認められます。
「ロメオとジュリエット」に合わせるために1920年に制作されたもので、何も有難がって見る必要がないと思います。
観光と商魂のため、ヴェローナ市当局はこのバルコニーを結婚式会場として貸し出しています。

バルコニーから撮ったジュリエッタ像



ガエターノ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1838‐1920)の「ジュリエッタとロメオ」(1850‐55)

Georg Sigmund (1790‐1814以降没)とJohann Goitieb Facius (1750c-1802以降没)の「シェイクスピアのジュリエッタとロメオ、Act 4 Scene 3」(1789)(エッチング)

同断

J. P. Simon (1750-1810)の「シェイクスピアのジュリエッタとロメオ、Act 4 Scene 3)(エッチング)

部屋の天井


アンジェロ・ダッローカ・ビアンカ(ヴェローナ、1858‐1942)の「エルベ広場」

詳細不明

ヴィスカルド・カルトン(ヴェローナ、1867‐1928)の「L'Adeseto」

展示としては冴えないと思います。

Museoに入館する人は、中庭に来た人の20%くらいでしょうか?







(つづく)
ウイリアム・シェイクスピアが1595年頃に書いた戯曲「ロメオとジュリエット」を、ヴェローナ市当局が観光のために現実にしてしまった一環の一つがジュリエッタの家であり、Museoと思います。
ヴェローナに行ったことがないシェイクスピアがヴェローナを舞台にした戯曲を書いたのは、ルイージ・ダ・ポルトの著作(1531c)を原本にしたと言われてます。ルイージの著作にも原本があって、シエナを舞台にした悲恋物語という説があり、その説が正しいとすれば舞台をシエナからヴェローナに移して詩人の物語を著作したということになります。
実在しなかったジュリエッタGiulietta Cappelletti(Giulitta Capuleti)の家をこの場所Via Cappello 23にある建物にするには、かなりの努力が必要だったと思います。
中世のヴェローナの記録には、そもそもCappelletti家の存在記載がないそうです。
Via Cappello の周辺に大商人カッペッロ家の住居と家作があり、その一部が14世紀に病院として転用された建物が現在のジュリエッタの家になっているようです。
19世紀末に「ジュリエッタの家」になったのです。
このような事情から、このMuseoの紹介にはあまり気が進まないのですが、ヴェローナ観光の目玉であることは事実なので敢えて取り上げる次第です。

エルベ広場です。
写真手前を逆方向に進みます。

Via Cappelloを少し進みます。

エルベ広場から僅かの距離にジュリエッタの家があります。

写真左の煉瓦積みの建物がジュリエッタの家です。

ジュリエッタの家の入り口です。

入口から中庭に出るアーチの左右両壁に落書き用ボードが用意されてます。

直ぐにボード一杯に書かれるので、数年毎にボードが交換されると聞いたことがありますが、真偽のほどは?

中庭です。

ジュリエッタ像

男性も女性も触るジュリエッタ像の右乳房

ジュリエッタ像の後壁

愛の絆の鍵ということでしょうか?この場所に鍵をかけたカップルのうち、離別(婚)率はどのくらいになるのか、皮肉屋の私には気になる所です。

ホテルだった時代もあったらしい?

有名なバルコニーの下にMuseoの入り口があります。

中に入った直ぐの所にもジュリエッタ像があります。こちらの方は右乳房に触るのは禁止です。

制作者不明の「ウイリアム・シェイクスピア(ストラットフォード・アポン・エイボン、1564‐1616)の胸像」


階上に向かいます。

1階(日本の2階)の展示室です。

「ロメオとジュリエット」に欠かせないバルコニー
バルコニーの経緯を知ると、このMuseoの性格が分かります。

ヴェローナ産の大理石はこのような色をしてますが、バルコニー制作のための大理石は14世紀の遺跡から発掘され、1920年までカステルヴェッキオで保存されていました。それをこの場所に移して、新たにバルコーニ―を制作したのです。ご覧のように大理石を継ぎ合わせてバルコニーに仕上げた痕跡が認められます。
「ロメオとジュリエット」に合わせるために1920年に制作されたもので、何も有難がって見る必要がないと思います。
観光と商魂のため、ヴェローナ市当局はこのバルコニーを結婚式会場として貸し出しています。

バルコニーから撮ったジュリエッタ像



ガエターノ・キエリーチ(レッジョ・エミリア、1838‐1920)の「ジュリエッタとロメオ」(1850‐55)

Georg Sigmund (1790‐1814以降没)とJohann Goitieb Facius (1750c-1802以降没)の「シェイクスピアのジュリエッタとロメオ、Act 4 Scene 3」(1789)(エッチング)

同断

J. P. Simon (1750-1810)の「シェイクスピアのジュリエッタとロメオ、Act 4 Scene 3)(エッチング)

部屋の天井


アンジェロ・ダッローカ・ビアンカ(ヴェローナ、1858‐1942)の「エルベ広場」

詳細不明

ヴィスカルド・カルトン(ヴェローナ、1867‐1928)の「L'Adeseto」

展示としては冴えないと思います。

Museoに入館する人は、中庭に来た人の20%くらいでしょうか?







(つづく)
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