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次の部屋です。


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部屋の壁に紋章のフレスコ画が描かれてます。


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フレスコ画の保存状態は比較的良い方でしょう。


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紋章の彫刻が展示されてます。


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カテリーナ・グロッシ・ボッカッリの紋章


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フランチェスコ・ラーミの紋章


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フランチェスコ・ラーミの紋章


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オリヴィ家の紋章


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オリヴィ家傍流家の紋章


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詳細不明の紋章


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詳細不明の紋章


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詳細不明の紋章


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上階に向かいます。


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階段途中の壁にフレスコ画があります。


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宮殿が建設された16世紀初めに描かれたと推定されてますが、制作者等詳細が不明です。


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フレスコ画の保存状態が良くありません。


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次の部屋です。


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アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の傑作「ユリウス・カエサルの勝利」が展示されてます。
しかし、そのように書いては完全な間違いとは言えないものの、正確を欠きます。


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ここにあるのはフレスコ画です。マンテーニャの「カエサルの勝利」はフレスコ画ではありません。


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マンテーニャの「カエサルの勝利」(勿論、本物です)は、サン・セバスティアーノ宮殿にありました。マントヴァ侯爵フランチェスコ2世ゴンザーガがこの宮殿を建設した理由の一つがマンテーニャの「カエサルの勝利」をこの宮殿に置くことでしたから、それは当然です。


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これらのフレスコ画は、恐らくルドヴィーコ・ドンディ通称イル・マントヴァーノ(マントヴァ、1585‐1614活動)によって17世紀初めに描かれたマンテーニャ作品の複製です。
複製された理由やオリジナルと異なりフレスコで描かれた理由など詳細が分からないようです。


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実は、マンテーニャが制作した「カエサルの勝利」(本物)はイギリスにあるのです。
その辺の詳細には、複雑な経緯があります。


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1492年、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)は「カエサルの勝利」の制作を開始して、製作途中の1501年にドゥカーレ宮殿で一部公開が開始され、大変な評判となりました。1505年に完成したと言われてます。


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制作の初期の段階の1492年3月2日、マントヴァに訪れていたジョヴァンニ・デ・メディチ(後の教皇レオ10世)は「カエサルの勝利」を見て最大級の賛辞を述べ、フランチェスコ2世ゴンザーガは鼻高々でした。


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サン・セバスティアーノ宮殿が完成した1508年頃に、マンテーニャの「カエサルの勝利」はドゥカーレ宮殿からサン・セバスティアーノ宮殿に移されました。


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1598年、それまで一枚の大作だった「カエサルの勝利」は、アンドレア・アンドレア―ニ(マントヴァ、1584‐1610)によって分割されてしまいました。その分割された作品を見て、17世紀初めにルドヴィーコ・ロンディがフレスコでコピー画を制作したようです。


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1626年、分割されたマンテーニャの「カエサルの勝利」は、ロレンツォ・コスタの2作品ともにサン・セバスティアーノ宮殿からドゥカーレ宮殿に移されました。
1627年、マンテーニャの分割された「カエサルの勝利」の全点はマントヴァを離れ、イギリスのロイヤル・コレクションに加わることになりました。
この辺の事情を調べましたが、何故イギリス王家の所有になったのか、その理由が分かりませんでした。
現在、マンテーニャの「カエサルの勝利」は、イギリスのハンプトンコート宮殿にあり、観ることが出来ます。


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イギリスのハンプトンコート宮殿にあるマンテーニャの「ユリウス・カエサルの勝利」の作品画像を載せましょう。(作品画像は外部サイトから拝借しました)
作品は9分割されてます。


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第1画面の詳細


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第2画面
マンテーニャの制作後、何回も修復が行われて原画とは異なっていると言われてます。


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第2画面の詳細


13
第3画面


14
第4画面


15
第5画面


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第5画面の詳細


17
第6画面


18
第7画面


19
第8画面


20
第9画面
(つづく)