次の部屋です。
26室、Camera da Lettoです。
Letto in stile neoclassico
天井の装飾
この部屋は、パオロ・ポッツォ(ヴェローナ、1741‐マントヴァ、1803)によって1783年に建設されました。
27室に行けないようになっていました。何故?
27室、Stanza dell'Appartamento dell'Imperatriceです。
27室の先にも行けません。
次の部屋です。
33室、Sala dell'Aquilaです。この部屋は、エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿によって1550年に建設されました。
結局、27,28,29,30,31,32室に行くことが出来ませんでした。
天井の装飾
タペストリがあります。
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルで1549年から1557年頃に織られたタペストリ「聖ステファノの殉教」です。
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房で1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「地方総督の改宗」
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房で1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「奇跡の漁」
次の部屋です。
第34室、Cappellinaです。
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)によって描かれたフレスコ画
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「羊飼いの礼拝」
ジョヴァンニ・バッティスタ・マルコーニのテンペラ画とスタニスラオ・ソマッツィ(マントヴァ、?‐1770)のスタッコ彫刻
次の部屋です。
35室、Sala dei Leoniです。
天井の装飾
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「アテネでのパオロの説教」
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「サウロの回心」
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「聖ピエトロの召命」
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「キリストの昇天」
次の部屋です。
36室、Sala delle Imperatrici
天井の装飾
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「リストリの犠牲」
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「「アナニアの死」
ラッファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房によって制作された原画に基づき、ブリュッセルのタペストリ工房によって1549年から1557年頃にかけて織られたタペストリ「身体障害者の治癒」
この部屋で終わりです。
観ることが出来なかった部屋がかなりありました。
広いので疲れました。
外に出ました。
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
今回もたっぷり楽しませていただきました。
とても勉強になりました。次回イタリアを旅行する際には是非、行ってみたいと思います。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
楽しんで頂いて望外の喜びです。
数多の芸術家が活躍しましたが、1600年代になると彼らの作品の幾つかがマントヴァを離れてしまったのが残念です。収集物の殆ど全てをフィレンツェに留まらせたメディチ家末裔の偉大さが際立ちます。
今後とも宜しくお願いします。