マントヴァの中心ソルデッロ広場です。
ソルデッロ広場に面して建つマントヴァ大聖堂、Cattedrale di San Pietro Apostoloです。
教会の歴史は古く、マントヴァで最古の場所である、この地に3世紀頃にあった礼拝堂が前身とされてます。5‐6世紀の教会のモザイクの床がこの場所の遺跡から発見されたことから、その頃には初期キリスト教会が存在していたとされてます。
現在の建物は、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女辺境伯マティルデ・ディ・カノッサ(カノッサ、1046?‐1115)によって、11‐12世紀に建設されたロマネスク様式の教会が元となってます。
マントヴァのCondottieroフランチェスコ1世ゴンザーガ(マントヴァ、1366-カヴィアーナ、1407)によって、建物はほぼ現在の規模となりました。
教会の外観はやはりファサードになりますが、現在、見ることが出来るのは、1756年から1761年に再建された後期バロック様式のものです。
フランチェスコ1世ゴンザーガ時代のファサードは、絵画によって分かります。
この作品にファサードが描かれてます。
ドメニコ・モローネ(ヴェローナ、1442c‐1517)の「マントヴァからのボナコルシ家の追放」(1494)
ドゥカーレ宮殿博物館で見ることが出来ます。
ロマネスク様式の鐘楼は、フランチェスコ1世ゴンザーガによって建物が拡大された時のものです。
砂岩で出来た身廊横
18世紀中頃に装飾されたファサードは、美術的な見所は乏しいように思います。
聖堂内に入ります。
観光客に対して寛容な教会なので、ミサの時以外は自由に見ることが出来ます。
コリント式列柱が目立つ、5廊式、ラテン十字形の内部です。
現在の内部は、16世紀中頃に行われた修復工事後の姿です。
1545年、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)によって着工された修復工事は、1546年のジュリオ・ロマーノの死によって中断の已む無きに至りました。
1549年、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニ(マントヴァ、1516‐1576)に引き継がれ、1576年に完成したのです。ベルターニは、工事完成直後に没してしまいました。
天井
左側第1側廊
左側第2側廊
左側の礼拝堂から見て行きます。
エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿がジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニを起用して1552年に建設したサンタガタ(聖アガタ)礼拝堂です。
イッポリート・コスタ(ボローニャ、1506‐1561)の「聖アガタの殉教」(16世紀中頃)
イッポリートはロレンツォ・コスタ(イル・ヴェッキオ)の息子です。
エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿がジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニを起用して1552年に建設したサンタ・スペチョーザ礼拝堂です。
イッポリート・コスタ(ボローニャ、1506‐1561)とイッポリートの息子ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「聖スペチョーザ」
私には制作者が分からない「アレッサンドリアの聖カテリーナ」
私には制作者が分からない「聖アンドレア」
私には制作者が分からない「聖アポッロニア」
次に進みます。
突き当りがCappella dell'Incoronataです。
Cappella dell'Incoronataです。
ルドヴィーコ3世ゴンザーガ(マントヴァ、1412‐ゴイト、1478)が建築家ルーカ・ファンチェッリ(セッティニャーノ、1430c‐マントヴァ、1502c)を起用して、1482年に建築させたCappella dell'Incoronataです。
クーポラ
礼拝堂後陣の側壁にフレスコ画が描かれてます。
私には制作者が分からない「聖母の死」
私には制作者が分からない「聖母被昇天」
私には制作者が分からない「聖霊降臨」
Cappella dell'Incoronataの主祭壇です。
礼拝堂主祭壇画「誓いの聖母」
Cappella dell'Incoronata内にある礼拝堂です。
ロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖レオナルド」(1482)
(つづく)
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