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次はサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂です。


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14世紀に創建された教会ですが、現在の建物はロレンツォ・ダ・ボローニャ(15世紀前半‐1508?)の設計によって16‐20世紀に再建された二代目のものですが、初代の建物の一部を利用して建設されました。


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1960年、当時の教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreに格付けされました。


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1335年の創建以来、2回の地震、そして第1次と第2次の世界大戦による爆撃、さらに1800年、新教皇就任時の花火が燃え移り消失するなど、大きな被害を5回受けた歴史があります。


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ファサード前のペトラルカ広場に立っている像は、ペトラルカのものです。ペトラルカは、その生涯の終わり近くの1367年にパドヴァに移住して、1374年に没するまでパドヴァで過ごしました。


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聖堂内に入ったらミサ中でした。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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祭壇画、フレスコ画などが沢山あります。


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ミサ中なので、拝観を遠慮しました。


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初代の建物にあった祭壇画などは市立美術館で見ることが出来ます。


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一旦外に出て、隣接するScuola del Carmineを見ることにしました。カルミネ聖堂のファサードに向かって右側にあります。


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Scuola del Carmineの入り口です。
当初、ここは洗礼堂になっていましたが、現在はカルミネ聖堂の礼拝堂となってます。


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Scuola del Carmineの中に入りました。


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壁の殆どはフレスコ画に覆われてます。



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美術ファンにとっては絶好の楽しめる空間です。


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祭壇


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彫刻家アンドレア・トッレセッレ(18世紀前半活動)の代表作とも言える大理石の祭壇(1739)です。


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大理石祭壇の中の聖母子は、ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)によって描かれました。


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ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)の「聖母被昇天」(1530)


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ドメニコ・カンパニョーラ(ヴェネツィア、1500‐パドヴァ、1564)の「黄金門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1520)


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ジュリオ・カンパニョーラ(パドヴァ、1482c‐ヴェネツィア、1515c)の「聖母の神殿奉献」(1505‐07)
ジュリオ・カンパニョーラの養子がドメニコ・カンパニョーラです。


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ジュリオ・カンパニョーラ(パドヴァ、1482c‐ヴェネツィア、1515c)の「聖母の誕生」(1505‐07)


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ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)の「マギの礼拝」(1530)


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ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)の「エジプトへの逃避」(1530)


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ジュリオ・カンパニョーラ(パドヴァ、1482c‐ヴェネツィア、1515c)の「寺院内の聖母の暮らし」(1505‐07)


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ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)の「博士たちとの問答」(1530)


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ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)の「聖霊降臨」(1530)


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ジローラモ・テッサーリ別名ジローラモ・デル・サント(パドヴァ、1480‐1561)の「聖母の死」(1530)


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外に出ました。


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今回の旅におけるパドヴァの予定は大体終わりです。


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例によってスクロヴェーニ礼拝堂付近をぶらぶら歩きです。


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今回が私にとってのパドヴァの最終になるでしょう。


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何事も終わりがあるというものです。


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名残尽きません。


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ホテルに戻って、預けていた荷物を受け取って駅に向かいました。


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乗車予定の列車が遅れてます。


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パドヴァを後にしました。
(おわり)