カンピドーリオの丘です。
聖堂は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の隣にあります。
聖堂に向かう階段横に緑地に彫像があります。
二コラ・ガブリーニ通称コーラ・ディ・リエンツォ(ローマ、1313‐1354)像です。
コーラ・ディ・リエンツォは、中世ローマの政治家で護民官を務め、コーラ改革と呼ばれる市政改革を行ったことで有名です。
サンタ・マリア・イン・アラチェリ聖堂 Basilica di Santa Maria in Ara Coeliです。
Ara Coeliとは、Mirabilia Urbis Romaeにある、アウグストクス帝が現在教会がある場所で、キリストを抱く聖母を見た時に、巫女が現れてイエス・キリストの出現と神の子の祭壇(アラ・チェリ)が出来ることを予言した、という伝説の「神の祭壇」に拠るとされてます。
Tempio di Giunone Monetaの遺跡の上に6世紀に建設された教会が前身です。しかし、その場所については確実なことが分からないようですが、現在の場所に近い場所であったことは明らかとされてます。
聖堂に向かう階段は、護民官コーラ・ディ・リエンツォによって1348年に造られました。
1250年、第180代教皇インノチェンツォ4世(マナローラ、1195c‐ナポリ、1254 在位:1243‐1254)は、初代のサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会をフランチェスコ会に与えました。
現在の場所に、13世紀に創建されたゴシック様式の二代目の建物が現在の姿となってます。
入口扉上のルネッタ
フレスコ画が僅かに残ってます。
聖堂内に入りました。
三廊式、ゴシック様式の内部ですが、一部、バロック様式の箇所があります。
中央礼拝堂を含めて、全部で25の礼拝堂があります。
天井の装飾
右側廊
右側廊から眺め
写真右手前は、教皇グレゴリウス13世像です。
右側廊の礼拝堂から見て行きます。
第25礼拝堂、シエナの聖ベルナルディーノ礼拝堂、別名Cappella Bufaliniです。
シエナの聖ベルナルディーノ礼拝堂のフレスコ画は、ベルナルディーノ・ディ・ベット通称イル・ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)によって1485年に制作されました。
フレスコ画のテーマは「シエナの聖ベルナルディーノの物語」です。
天井
第24礼拝堂、Cappella della Pietaの祭壇画は、マルコ・ピーノ・ダ・シエナ(シエナ、1525c‐ナポリ、1587c)の「ピエタ」(16世紀)
第24礼拝堂のフレスコ画です。
クリストフォロ・ロンカリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチョ、1553c‐ローマ、1626)の「十字架降下」(16世紀)
クリストフォロ・ロンカリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチョ、1553c‐ローマ、1626)の「キリストの埋葬」(16世紀)
第23礼拝堂、Cappella di San Girolamo o San Bonaventuraです。デルフィーニ家の礼拝堂です。
ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐ローマ、1615)の「聖ジローラモ」
第23礼拝堂の横壁は、フランツ・ローデン(1817‐1903)の「聖ボナヴェントゥーラ」
フランツ・ローデンの作品
第22礼拝堂、Cappella dei Crocifissoです。
フラ・ヴィンチェンツォ・ダ・バッシアーノの「磔刑像」(17世紀)
第22礼拝堂の、ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐1580c)の「キリストの変容」
第21礼拝堂、Cappella di San Matteoです。マッテイ家の個人礼拝堂です。
祭壇画は、ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532‐ローマ、1592)の「天上の聖母子と天使たちと聖マッテオ」
第21礼拝堂の、ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532‐ローマ、1592)の「聖マッテオの召命」
第21礼拝堂の、ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532‐ローマ、1592)の「聖マッテオの殉教」
第20礼拝堂、Cappella di San Stefanoです。
ミシェル・マイレ(フランス、1643‐ローマ、1703)の「アルカンタラの聖ピエトロの光悦」
第20礼拝堂の天井フレスコ画とスタッコ彫刻
第19礼拝堂、Cappella di San Lorenzoです。
第19礼拝堂の祭壇画は、ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐ローマ、1615)の「聖ディエゴ」
第19礼拝堂のフレスコ画は、ヴィンチェンツォ・ストラーダの「聖ディエゴの物語」
第17礼拝堂で最近発見されたフレスコ画
ピエトロ・カヴァッリ―ニ(ローマ、1250c‐1330c)の「聖母子」
(つづく)
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