
写真左に聖堂が見えてきました。

聖チェチリア(ローマ、2世紀‐230)は、自分がキリスト教に改宗させた夫、友人たちと共に230年頃に殉教した聖人で、伝説に拠れば楽器を奏でながら讃美歌を歌ったとされており、音楽家の守護聖人となってます。盲人の守護聖人でもありますが、その由来が私には分かりません。
なお、176年から180年にかけてシチリアで殉教した別説があるようです。

聖堂は高い壁に囲まれてます。

こちら側は聖堂の後陣と修道院に当たります。

道を挟んだ聖堂の向かいに、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・ジェノヴェーゼ教会が建ってます。

少し大回りして、聖堂の入り口があるファサード側に出ます。

ファサード側に来ました。

4本柱の柱廊付きの建物は、18世紀初めにフランチェスコ・アクゥアヴィーヴァ・ダラゴーナ枢機卿が建築家フェルディナンド・フーガ(フィレンツェ、1699‐ナポリ、1782)を起用して建てさせたものです。

聖堂の建物への門です。

門を潜ると中庭に出ます。

中庭もフェルディナンド・フーガ(フィレンツェ、1699‐ナポリ、1782)によって設計されました。

この場所は、ローマ貴族だった聖チェチリアの家がありました。聖堂のクリプタに、彼女が拷問を受けた部屋があります。
5世紀半ばころ、この場所に聖チェチリアを称える小さな教会が建てられましたが、恐らくローマで最初に建設された公式な教会と言われてます。

820年、第98代教皇パスクゥアーレ1世(ローマ、?‐824 在位:817‐824)によって、最初の建物が取り壊され、再建されました。
1599年、パオロ・エミリオ・スフォンドラーティ枢機卿(彼の墓碑がこの聖堂のファサード柱廊にあります)によって改築されました。
ファサードは、フェルディナンド・フーガによって1725年に改築されましたが、改築後のファサードが現在の姿となってます。

鐘楼は12世紀に建設されたもので、1725年建設のファサードと比べると、アンバランスな感じが否めません。

ファサードのモザイクが見逃せません。

FRANCISVSと書かれている下にモザイクがあります。

古いものではありません。

フェルディナンド・フーガによるファサード再建の際に造られたモザイクです。

ファサードの柱廊を見ます。


18世紀前半の柱頭

柱廊の壁に墓石が並んでます。


ジローラモ・ライナルディ(ローマ、1570‐1655)の「パオロ・エミリオ・スフォンドラーティ枢機卿(ミラノ、1560‐ティヴォリ、1618)の墓碑」

パオロ・エミリオ・スフォンドラーティ枢機卿は、1591年から1618年までCardinale presbitero di Santa Ceciliaの任にありました。

聖堂内に入りました。

三廊式、バジリカ様式の構造ですがバロック様式の内部です。

古さを生かした改修でも良かったのではないか、と思います。

身廊天井にフレスコ画があります。

セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680‐ナポリ、1764)の「聖母戴冠」

パオロ・ロマーノ(セッツェ、1445‐ローマ、1470)の「アダム・イーストン枢機卿の墓」

墓の上のフレスコ画

セバスティアーノ・コンカが制作に参加したようですが、どの部分を描いたのか分かりません。






(つづく)
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