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サンタンドレア教会です。
教会に関する最初の言及文書は1025年に遡ると言われてます。
1253年、教会はフランチェスコ会の所有となり、その後すぐに修道院の建設が始まったとされてます。


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16世紀、17世紀、20世紀に改修工事が行われました。
併設の修道院は、1810年、ナポレオンによって閉鎖されました。その後、宗教活動を再開されることなく、建物は女児孤児院として使用されるようになりました。


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教会の身廊と旧修道院だった建物


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教会の後陣


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教会ですが、一部要塞のような造りです。


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この日、扉が開いてました。


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中に入りましたが、点灯されておらず暗くて困りました。


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それでも暗い中を目を凝らして拝観しました。


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主祭壇と後陣


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太陽が出てきたようで、多少明るくなりました。


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Maestro Umbro-Giotescoの「彩色磔刑像」(13世紀末‐14世紀初め)
ジョッテスキ画家の作品です。


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少し明るくなってきました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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左右の側壁に壁龕礼拝堂が設けられてます。


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身廊天井


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後陣のフレスコ画は20世紀初めに描かれた新しいものです。


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後陣のフレスコ画は、べンヴェヌート・クリスポルディ(スペッロ、1886‐1923)の「12使徒」(1913)です。


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後陣天井


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聖体容器(15世紀後半)


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Maestro di Santa Giuliana (?)のフレスコ画(14世紀)


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コーラ・ペトルッチョーリ(オルヴィエート、1360‐ペルージャ、1401)周辺の逸名画かによるフレスコ画(14世紀後半)


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トンマーゾ・コルボ(ウンブリア、1507‐1532活動記録)の「聖母子と聖アンナとバーリの聖二コラと聖ロッコ」(1532)


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アッシェンスィドーニオ・スパッカ通称イル・ファンティーノ・ダ・ベヴァーニャ(ベヴァーニャ、1557‐1646)の追随者による「天上の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ルチア」(16世紀後半)


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ドーノ・ドーニ(アッシジ、1500c‐1575)の「聖ジョアッキーノと聖アンナの出会い」(1565)


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ピントゥリッキオの祭壇画は暗くてよく見えません。


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これには困りました。


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂(17世紀)


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急に点灯されました。嬉しかった!


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早速見に行きます。


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ベルナルディーノ・ディ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)と協力者による「玉座の聖母子と聖アンドレア(左から)、聖ルドヴィーコ、聖フランチェスコ、聖ロレンツォと聖ジョヴァンニーノ」(1507‐08)
協力者としては、エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ(ペルージャ、1507から記録‐1550没)とジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ・チャンベッラ通称イル・ファンタジア(ペルージャ、15世紀末‐16世紀前半活動)2人が明らかになってます。
エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョはペルジーノの弟子です。


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チェーザレ・セルメイ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1581‐アッシジ、1668)の「ベアート・アンドレア・カッチョ―リのレッジョ・エミリアでの奇跡」(1610)


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左翼廊


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スポレートの逸名画家作「聖母子」(14世紀前半)


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クーポラ


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もう一度ピントゥリッキオの祭壇画を見ます。


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隣のサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会のピントゥリッキオのフレスコ画は写真不可ですが、非常に不可思議に思います。


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中々良かった!


097
(つづく)