サン・フィリッポ広場にやってきました。
写真左はバディア・フィオレンティーナの鐘楼です。右のいかめしい建物にバルジェッロ国立博物館が置かれてます。
サン・フィリッポ広場に面して建つサン・フィレンツェ複合体 Complesso di San Firenzeです。
1174年の文書に、この場所にサン・フィレンツェ教会の存在が記されてます。
1640年、第235代教皇ウルバーノ8世(在位:1623‐1644)がサン・フィレンツェ教会周辺の土地をサン・フィリッポ・ネリ会(オラトリオ会)に与えました。
同会は、与えられた土地に新しい教会修道院の建設を決め、1645年、ピエトロ・ダ・コルトーナに委嘱しましたが、ピエトロの設計は壮大過ぎて経済的に難しいと判断され、着工に至りませんでした。
ピエトロ・ダ・コルトーナに代わって、建築家ピエル・フランチェスコ・シルヴァーニ(フィレンツェ、1620‐ピサ、1685)が起用され、シルヴァーニの設計によって1667年創建、1749年に完成したバロック様式の複合体です。フィレンツェでは珍しいバロック様式の建物です。
修道院は1745年から1749年にかけて建設されました。
建物の左側がサン・フィリッポ・ネリ教会です。
教会以外の部分、向かって右側になりますが、2012年まで裁判所になっていました。裁判所が移転し、その後修復されて、その一部は展示会、見本市、イベントなどの会場として利用されてます。
Lo Stemma dei Serragli
教会ファサードの彫刻
複合体の構造図です。
教会は構造図の1の部分になります。
教会内に入りました。
単廊式、バロック様式の内部です。
右側壁
身廊天井
中央礼拝堂
詳細不知の磔刑像
主祭壇
主祭壇画は、アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「無原罪の御宿リと聖人たち」(1715)
祭壇画の下部がよく分かりません。
後陣天井のフレスコ画は、ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732c)の「三位一体と聖人たち」
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「純粋」
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「慈愛」
トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1726)の「聖家族」(1715)
ジュゼッペ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「磔刑」(1729)
Stemma Serragli
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」
アントニオ・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1724)
詳細不知
アレッサンドロ・ギラルディーニ(フィレンツェ、1665‐1723)の「ピエタ」(1715)
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」
詳細不知の天井画
トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1716)の「聖フランチェスカ・ロマーナの聖体拝領」(1715)
ジョヴァンニ・アントニオ・プッチ(フィレンツェ、1679‐1716)の「聖母の神殿奉献」(1715)
詳細不知
ルイージ・サバテッリ(フィレンツェ、1772‐1850)によるクーポラのフレスコ画
主祭壇前から見た出入口方向
外に出る前に主祭壇を見ました。
外に出ました。
広場を挟んで教会の向かいにあるのは、ジュリアーノ・ダ・サンガッロの設計によって15世紀末に建設されたPalazzo Gondiです。
(つづく)
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