13世紀中頃に建設されたポデスタ宮です。16世紀にはバルジェッロ(司法長官)の邸宅兼司法事務所になっていました。
プロコンソロ通りを挟んでバルジェッロ宮の向かいにバディア・フィオレンティーナがあります。
写真右がバディア・フィオレンティーナです。バディアとは修道院という意味です。
バディア・フィオレンティーナがある場所にサント・ステファノ・デル・ポポロ教会がありましたが、960年、女性貴族ウィッラ・ディ・トゥスチャ Willa di Tusciaに教会が売却されました。ウィッラは、ベネディクト会の修道院の建設を決め、後にバディア・フィオレンティーナと呼ばれることになる修道院が978年着工されました。
1071年、病院が修道院に併合されました。
プロコンソロ通りに面している古い後陣
1310年から1330年に建設された鐘楼です。
高さ70mの鐘楼です。
かなり目立ちます。
ファサード上のStemma Ugo di Toscana
入口扉上の彩釉テラコッタは、ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459‐1521)の「聖母子と2天使」です。
彩釉テラコッタの上にある彫刻
ファサード側の入り口
入口から中に入ると柱廊に出ます。
バディア・フィオレンティーナの構造図
Cappella Pandolfiniの入り口扉のStemma Padolfini
Chiostro degli Aranciです。
キオストロ回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。
アゴスティーノ・ヴェラチーニ派逸名画家による「聖母子と聖ベネデット」(18世紀)
ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」
ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」
教会の方に向かいます。
教会の中に入りました。
元々ゴシック様式の内部ですが、17世紀の改修の結果、随分違った感じがします。
翼廊がない単廊式です。
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)の「聖ベルナルドの前に顕現する聖母」(1486)
ミーノ・ディ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)の「Dossale Neroni」
ミラベッロ・カヴァローリ(フィレンツェ、?‐1572以降没)の「聖霊降臨」
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖母被昇天と2聖人」
聖母被昇天
詳細不知
後陣
詳細不知の磔刑像
ジャン・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687‐1755)の後陣のフレスコ画(1733‐34)
ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1320‐1366)に帰属する「キリストの物語」
ナルド・ディ・チョーネに帰属する「キリストの物語」
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「カルヴァリオへの上り」(1556c)
詳細不知
詳細不知
オルガン
外に出ました。
(つづく)
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