引き続きサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
Chiostro delle Medicherieです。
キオストロ回廊の作品を見て回ります。
回廊に修復工房があります。
修復工房の部屋にある作品です。(詳細不知)
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「嘆き」
制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)
詳細不知
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373‐1452)の「1419年のサンテジーディオ教会奉献式を執り行う教皇マルティーノ5世(第206代教皇 在位:1417‐1431)」(1430c)
看護師や医師と思われる人たちが回廊にいました。
有名な作品が修復作業中でした。
修復されていた作品です。
ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラ(フィレンツェ、1445‐1497)の「サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の特権を許認する教皇マルティーノ5世」
他に見たい作品が沢山ありましたが、病院なのでこれ以上の鑑賞を自制しました。
観たかった作品です。(外部サイトから拝借した作品画像)
次はサンテジーディオ教会です。
サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の柱廊にサンテジーディオ教会があります。
教会がある場所は、ロマネスク様式の修道院の一部でしたが、1289年に病院に組み込まれました。
14世紀末に柱廊に教会の建設が決まり、ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)に委嘱され、ロレンツォの設計によって15世紀初めに着工されました。
1419年、第206代教皇マルティーノ5世(在位:1417‐1431)によって奉献式が執り行われました。
現在の教会の外観は、ベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって、ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571‐1635)の建設工事監督によって16世紀末に行われた改修後のものです。
入口扉上ルネッタの「聖母戴冠のテラコッタ」
拝観します。
単廊式、バロック様式の内部です。
左側壁
右側壁
ジュゼッペ・トネリ(フィレンツェ、1668‐1732)とマッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)による天井装飾(18世紀前半)
主祭壇と後陣
主祭壇
奉献以来、主祭壇にはロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」が置かれていましたが、1484年にフーゴー・ファン・デル・グースの「ポリティナーリのトリッティコ」に置き換えられました。
現在、その2つの作品はウフィッツィ美術館で見ることが出来ます。
ご参考までに、それらの作品画像を載せおきましょう。
ロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」
フーゴー・ファン・デル・グースの「ポルティナーリのトリッティコ」
羊飼いの礼拝
聖トンマーゾと聖アントニオ・アバーテとポルティナーリ家の人々
聖マルゲリータと聖マリア・マッダレーナとポルティナーリ家の人々
後陣の装飾と磔刑像
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)の後陣フレスコ画
詳細不知
ジャチント・ジェミニアーニ(ピストイア、1606‐1681)の「聖エジーディオ」(1670c)
ジョヴァン・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「ベテスダの池」
アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「十字架降下」(1579)
詳細不知
バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1690)の「病人を治癒させる聖ルドヴィーコ」(1665c)
詳細不知
制作者情報不知の「死せるキリスト」
フェリーチェ・フィケレッリ(サン・ジミニャーノ、1605‐フィレンツェ、1660)の「聖母子と聖人たち」(1654‐57)
詳細不知
天井の装飾
詳細不知
詳細不知
聖水盤
シピオーネ・バルガーリの墓
シピオーネ・バルガーリ(シエナ、1540‐1612)は人文学者でした。
主祭壇前から見た出入口方向
外に出ます。
(つづく)
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