サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂にやってきました。扉が開いていました。
Basilica e Santuario di Santa Maria dei Miracoli presso San Celsoが正式名です。
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。
写真右はサン・チェルソ教会です。presso=近くの、という意味ですから、サン・チェルソ教会近くのサンタ・マリア・デイ・ミラコリ聖堂聖域と訳せば良いと思います。
本題とはあまり関係がありませんが、サン・チェルソ教会は、4世紀に創建された歴史ある教会で、現在の建物は11世紀に再建されたものです。ネオ・ロマネスク様式のファサードは、19世紀に改装された
ものです。
外観では、11世紀の再建された鐘楼が目立ちます。
地図があって分かり易い。
ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c-ミラノ、1504)とジョヴァンニ・バッタージョ(ローディ、15世紀―?)の設計によって1493年に建設工事が開始されました。
外壁を囲む柱廊は、チェーザレ・チェザリアーノ(ミラノ、1475-1543)、クリストフォロ・ロンアバルド通称イル・ロンバルディーノ(?、?-ミラノ、1556)などによって16世紀初頭に建設されました。
八角形のクーポラは、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によって1494年に建設が始められました。
Quadriportico
ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によるQuadriportico
マニエリスム様式のファサード
ヴィンチェンツォ・セレーニ(セレーニョ、1519/1520-ミラノ、1594)の設計原案に基づきガレアッツォ・マレッシ(ペルージャ、1512-1572)の設計によって、マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1549-ミラノ、1591)が1570年に完成させたファサードです。
ファサードの彫刻
ストルド・ロレンツィ(セッティニャーノ、1534-ピサ、1583以降没)とアンニーバレ・フォンターナ(ミラノ、1540-1587)によるファサードの彫刻
音楽天使たちの彫刻
聖堂内部に入りました。
三廊式、ルネサンス様式の内部です。
1565年、聖カルロ・ボッロメオは反宗教改革を表明しましたが、それに沿って内装されたと言われてます。
詳細不知
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)による天井フレスコ
詳細不知
詳細不知
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「聖ナザーリオと聖チェルソの殉教」(1607)
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「聖家族と聖ジローラモ」
アントニオ・カンピ(クレモナ、1522-1587)の「キリストの復活」
カルロ・ウルビーノ(クレマ、1525-1585)の「聖母被昇天」
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「キリストの洗礼」
カルロ・ウルビーノ・ダ・クレマ(クレマ、1525-1585)の「祝福を受けるキリスト」
詳細不知
詳細不知
詳細不知
左側廊天井
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「聖母被昇天」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「キリストの遺体の移送」
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1603)
下の部分が有名です。涙の聖母と聖ナザーリオと聖チェルソ
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画
詳細不知の磔刑像
主祭壇と後陣
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画
左側廊
詳細不知
詳細不知
外に出ました。
(つづく)
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