成田空港から出発です。
定刻の出発時間が表示されていました。ところが、ところが、でした。
遅れてウンザリ。
マルペンサ空港に到着しました。
バスで中央駅へ。
この日のミラノは雨でした。
中央駅横のバスターミナルに到着。
初夏だったので日没前に到着予定でしたが、イタリアからの成田到着便が遅れた影響で3時間遅れのマルペンサ到着となりました。
駅至近のミケランジェロがこの日のお宿です。
ホテル近くのスーパーに買い物に。
予定では、レストランに行く予定でしたが、飛行機が遅れたので叶わず。
翌朝です。
かなり寒い雨の一日となりました。
この後、バガッティ・ヴァルセッキ博物館とボスキ・ディ・ステファノ邸美術館に行きました。写真不可だったの紹介を省略させて頂きます。
ミラノ到着から25日後、帰路のミラノです。
天気に恵まれました。
今まであまり拝観に恵まれなかった教会巡りをしました。
今回は、サンタ・マリア・インコロナータ教会です。
ガリバルディ通りに面して建つサンタ・マリア・インコロナータ教会、正式には教区教会です。
珍しい二重ファサードが目立ちます。
ミラノ自治都市時代に建設されたサンタ・マリア・ディ・ガルニャーノ教会が前身です。
1400年、アゴスティーノ会修道士によって、サンタ・マリア・ディ・ガルニャーノ教会に隣接して、修道院が建設されました。
1451年、教会の名称がサンタ・マリア・インコロナータ教会に改称されました。
写真左側は後期ゴシック様式のサンタ・マリア・インコロナータ教会で、ミラノ公爵フランチェスコ1世・スフォルツァ(サン・ミニアート、1401-ミラノ、1466)によって1450年から1460年にかけて再建されました。
写真右側は、トレンティーノの聖二コラを奉献するサン・二コラ・ダ・トレンティーノ新教会で、ミラノ公爵フランチェスコ1世・スフォルツァの妻ビアンカ・マリア・ヴィスコンティ(セッティ―モ・パヴェ―ゼ、1425-クレモナ、1468)によって1460年に建設されました。
1468年、2つの教会は合併され、合併後の名称は左側のサンタ・マリア・インコロナータ教会がそのまま引き継がれました。
鐘楼
旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会の右側壁の礼拝堂
1654年と1827年に大改造され、現在の姿と異なる外観でしたが、1900年に中世の姿に戻す改造工事が行われ、現在の姿となりました。
ファサードのStemma Visconteo
右側の旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会の入り口扉上ルネッタ上の「トレンティーノの聖二コラ像」
左側入口扉上ルネッタ上の「戴冠した聖母像」
扉が開く時間に来ました。
中に入りました。
当たり前ですが、中も二重構造になっていました。
左側のオリジナルのサンタ・マリア・インコロナータ教会です。
その右側に旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会があります。
左側壁
旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会
右側壁
ロレンツォ・ギベルティ派逸名金工家作「右後陣の磔刑像」(16世紀)
バロックの逸名画家作「トレンティーノの聖二コラの生涯」(17世紀)
右後陣の天井
詳細不知の「聖家族」
15世紀のフレスコ画 上はアレッサンドリアの聖カテリーナ、下はモンテファルコの聖キアーラ
詳細不知
詳細不知
詳細不知
(つづく)
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