地下鉄でミッソーリ駅に着きました。
サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂に向かいました。
ありゃ、あれは何だ?
サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂の左翼廊付近が修復中のようです。
普段はこのような外観です。
左翼廊
サンタ・カテリーナ礼拝堂
聖堂の入り口があるトリヴルツィオ礼拝堂に回ります。
トリヴルツィオ礼拝堂のファサードです。
安心しました、扉が開いてます。
聖堂の中に入ろうとしましたが、ミサ中でした。これでは拝観するわけにはいきません。
入り口横の壁にあるフレスコ断片
ミサが終わる時間にもう一度来ることにして、サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂を後にしました。
ミラノ大学の方に行くことにしました。
写真右は旧マッジョーレ病院です。
ミラノは自転車シェアが盛んです。
初代ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァ(サン・ミニアート、1401-ミラノ、1466)によって1456年に創建されました。
設計者は、アントニオ・ディ・ピエトロ・アヴェリーノ通称イル・フィアレーテ(フィレンツェ、1400c-ローマ、1469)でした。
創建以来、幾度か増設され完成まで約200年を要しました。
1943年8月15日夜から早朝にかけて、ドイツ軍による爆撃に大きな被害を受けました。その後、修復工事が行われましたが、新しく見える部分は再建された箇所です。
1939年まで病院でした。1958年、ミラノ大学の本部として建物が使用されることになり、現在に至ってます。
入口のファサードは、フランチェスコ・マリア・リチーニ(ミラノ、1584-1658)の設計によるもので、17世紀に建設されました。
次はサンタントニオ・アバーテ教会です。
サンタントニオ・アバーテ教会の鐘楼が見えてます。
ファサードの方に回ります。
サンタントニオ・アバーテ教会のファサードが見えてます。
聖アンブロージョ司教の時代、4世紀に建設されたTempioが前身とされてます。
1272年以降に再建されました。
15世紀に建設された鐘楼
17-18世紀に現在の姿に改造されました。
ファサードの彫刻
見逃せない作品が幾つかあります。
扉が閉まっていたのが残念でした。
外部サイトから作品画像を拝借して、教会内にある作品を幾つか紹介させて頂きます。
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「受胎告知」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「エジプトへの逃避」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「ご訪問」
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「羊飼いの礼拝」
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「マギの礼拝」
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555-パルマ、1612)の「キリストの昇天」
ベルナルディーノ・カンピ(レッジョ・エミリア、1522-1591)の「聖チェチリア」
ジョヴァンニ・バッティスタ・カンピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573-ミラノ、1632)の「聖ガエターノ」
ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ(ミラノ、1540-1608)の「聖母の誕生」
次はサント・ステファノ聖堂です。
(つづく)
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