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中2階(日本でいうところの)に進みます。


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事務室でしょうか?


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中2階ニッチのフレスコ画「聖母子?」


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階段上の天井


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2階(日本でいうところの)へと進みます。


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2階の最初の展示室です。


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現代彫刻が展示されてます。


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この辺の展示は趣味ではないので、直ぐに退散したいところです。


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しかし、部屋の壁に描かれたフレスコ画が見逃せないので、暫し部屋に留まりました。


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フレスコ画の制作者や制作された時期等の詳細が私には分かりません。


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次の部屋です。


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ミラノ・スカラ座関係の展示です。
ミラノ・スカラ座とフォリーニョは無関係に思えるかも知れませんが、フォリーニョの建築家の設計によってスカラ座が建設されたのです。


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スカラ座の模型


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フォリーニョ出身の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニ(フォリーニョ、1734-1808)の設計によってミラノ・スカラ座が建設されました。


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スカラ座内部の模型


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ジュゼッペ・ピエルマリーニの胸像(制作者情報不知)


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次の部屋です。


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剥離フレスコ画が展示されてます。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「磔刑」(1428c)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「慈悲の聖母」(1428c)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「カルヴァリオへの上り」
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・ドメニコ・デ・リーゼ(フォリーニョ、1463記録)に帰属する「聖ベネデットの物語の1エピソード」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「授乳の聖母」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「玉座の聖母子」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


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アンドレア・カーニョ(フォリーニョ、1446記録)に帰属する「受胎告知」(15世紀初頭)
Casa Nocchiにありました。


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逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀前半)


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次の部屋です。
この部屋から数室のフレスコ画がフォリーニョ美術における最大の見所です。


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フレスコ画が描かれてます。


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Sala degli Imperatori (皇帝の間)と呼ばれてます。


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Sala degli Giganti (巨人の間)とも呼ばれてます。


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15世紀初頭のフォリーニョを支配していたトリンチ家当主ウゴリーノ3世・トリンチ(フォリーニョ、?-1415)は、ローマ時代からトリンチ家の支配継続を祝福するためにトリンチ宮をフレスコによる装飾を考え、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)にフレスコ制作を依頼しました。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは、その招聘に応じ、1411年から1412年にフォリーニョに滞在して、弟子と協力者と共にトリンチ宮装飾に従事しました。
そうして装飾された部屋の一つがこの部屋で、フレスコ画は1411年に制作されました。
ジェンティーレの下で制作に従事した画家として、弟子の若きヤコポ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1396-1470?)(ジェンティーレ・ベッリーニとジョヴァンニ・ベッリーニの父です)、フォリーニョの画家パオロ・ノッキ、ボローニャ出身の画家フランチェスコ・ジャンボノ、フォリーニョの画家バッティスタ・ディ・ドメニコがいました。


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教皇シスト4世の紋章です。
1411年に制作された当時、この場所には、トリンチ家とウゴリーノ3世・トリンチの紋章がありましたが、1439年にトリンチ家がフォリーニョから追放され、トリンチ宮は教皇総督に使用されることになったので、1477年に教皇シスト4世の紋章に差し替えられました。


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18人のローマ皇帝などが描かれましたが、残されているのは15人で、3人が落剝して失われています。


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天井


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現存する15人を紹介しておきましょう。
左から右へ、オッタビアーノ・アウグスト(アウグストゥス)、ティベリオ(ティベリウス)、カミッロ


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左からファブリツィオ、マニオ・キュリオ・デンタート、ティート・マンリオ・トルクゥアート


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左からチンチッナート、マルオ・クラウディオ・マルチェッロ


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左からアフリカのシピオーネ(スキーピオ)、ムーツィオ・スチュヴォーラ


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左からカト―ネ(カト―)・ウティチェンセ、カイオ(ガイウス)・マリオ


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左からカイオ(ガイウス)・マリオ、プブリオ・デーチョ(パブリウス・デシウス)、クラウディオ・ネローネ、ファビオ・マッシモ
カリグラ、ポンぺウス、トライアヌスは失われてありません。


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もう一度見ました。


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ローマ時代の彫刻が置かれてます。


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(つづく)