次はサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂と市立美術館です。
サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。
聖堂の隣に建っているのが、サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物です。修道院の一部が市立美術館です。
聖堂と修道院はローマ通りに面してます。通りの先にあるのはポルタ・ヌオーヴァです。
ポルタ・ヌオーヴァのこちら側がラヴェンナの城壁内になります。門の先にサンタポッリナーレ・ディ・クラッセ聖堂があります。
サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂修道院の前に広場があります。
先ずサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞のポルト・フオーリ(ラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありました。15世紀、そのサンタ・マリア教会の隣に修道院建設計画が具体化しましたが、当時、ラヴェンナを支配していたヴェネツィア政府は、ポルト・フオーリの修道院建設を許可せず、城壁内に修道院建設するように指示しました。
その指示に基づき、1496年、現在、教会と修道院が建っている場所とその前の広場に建っていた住居が破壊されました。
そうして、1496年創建され、1509年に完成したのがサンタ・マリア・イン・ポルト修道院です。1511年、当時の教皇ジュリオ2世(第216代教皇、在位:1503-1513)が一時期、この修道院に留まりました。
修道院の完成後、直ぐに修道院のための教会が必要とされて、1553年に創建され、1561年に一応、教会としての機能を持つ建物になりました。
しかし、ファサードや礼拝堂の一部などが未完成でした。
貴族で建築家のカミッロ・モリ―ジャ伯爵(ラヴェンナ、1743-1795)によって1775年から1784年にかけて建設されたファサードです。
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)のファサードの彫刻「慈愛」
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「ギリシャの聖母」(1689)
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「希望」
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「謙虚」
1797年、ナポレオンの侵略によって修道士は追放され、1798年には修道院と教会が接収され、兵舎に転用されました。
1828年、修道院だけ再開されましたが、1886年に閉鎖されました。
19世紀末に教会が再開され現在に至ってます。
1960年、教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreに叙せられました。
聖堂内に入りました。
三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。
右側廊方向
身廊天井
祭壇画を見て回ります。
アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖母子と聖ドメニコとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(18世紀)
左側廊の礼拝堂
イッポリート・スカルセッラ通称ロ・スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「聖ジャコモ・ミノーレの殉教」
左側廊の礼拝堂です。
チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1554-1618)の「アンティオキアの聖マルゲリータの殉教」(16世紀末)
左側廊の礼拝堂
フランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544-1618)の「聖母被昇天と聖人たち」
左側廊の礼拝堂
エミリオ・タルッフィ(ボローニャ、1633-1696)の「殉教者聖ロレンツォ」
主祭壇
誰の作品でしょうか?
主祭壇前から見たファサード方向
右側廊の礼拝堂に移ります。
アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖ウバルド」
右側廊の礼拝堂
ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビエーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖モニカと4聖女」
右側廊の礼拝堂
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖マルコの殉教」
「磔刑像」(15世紀)
ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖カルロ・ボッロメオ」
右側廊の礼拝堂
ヴィンチェンツォ・スピサーノ通称ロ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595-ボローニャ、1622)の「幼児を救う守護天使」
制作者情報不知の「受胎告知」
制作者情報不知の「大天使聖ミケーレ」
詳細不知
詳細不知のフレスコ画
「ラヴェンナのギリシャのマドンナ」(431以前)
これは有名な浮彫です。1100年、ラヴェンナに齎せました。
詳細不知のイコン
外に出ました。
(つづく)
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