サン・ヴィターレ聖堂の門です。
サン・ヴィターレ聖堂の鐘楼です。
人出が多かったので、ガッラ・プラチーディアの霊廟、サン・ヴィターレ聖堂、国立博物館を後回しにして、それらと至近にあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に行きます。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。
教会の歴史は古く、ラヴェンナの第24代司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534c)によって521年に創建され、534年に完成した初期キリスト教会です。
1671年にほぼ現在の姿に改修されました。
円筒形の鐘楼は9世紀から10世紀に建設されたものです。
中に入りました。
主祭壇
1671年に改修の際、元の装飾は殆ど取り壊されました。
最大の見所はこの聖母子です。
トゥモーリの聖母です。
詳細不知
外に出ます。
ガッラ・プラチーディアの霊廟は混雑していたので、見るのを後回しにしました。
サン・ヴィターレ聖堂の拝観を先にします。
526年、第24代ラヴェンナ司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534?)によって創建され、547年、マクシミアヌス大司教の時代に完成したビザンチン様式の初期キリスト教会です。
1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに叙せられました。
中に入りました。
クーポラ
古いフレスコ画と比較的新しいフレスコ画が混在してます。
詳細不知
詳細不知
モザイクが見所です。
床のモザイク
外に出て、ガッラ・プラチーディアの霊廟に向かいます。
ガッラ・プラチーディアの霊廟は空いていました。
ホノリウス帝の妹で、コンスタンティウス3世の妻エリア・ガッラ・プラチーディア(コンスタンティノープル、388/392-ローマ、450)のよって建設されました。
ローマで死去したエリア・ガッラ・プラチーディアの霊廟であることは確かですが、教会の礼拝堂として建設されたという説もあります。
霊廟の入り口です。
中に入りました。
霊廟内はモザイクで一杯です。
サン・ヴィターレ聖堂、修道院のキオストロです。
次は国立博物館です。
国立博物館の建物です。
扉が開いてます。
入館しましたが、中は写真不可でした。
ラヴェンナの写真不可に対する観光方針が理解できません。
夜はオペラなので、体力維持のためホテルに戻ることにしました。
(おわり)
コメント
コメント一覧 (3)
こちらにお邪魔するようになって1年以上たったのですが、
今回イントロダクションの所に”オペラ”とあるのに気が付きました。
オペラ関係はこのブログでは取り上げていないようですが、
どこかに別のページがあったりするのでしょうか?
コメントありがとうございます。
> オペラ関係はこのブログでは取り上げていないようですが、
> どこかに別のページがあったりするのでしょうか?
別のページはありません。
オペラ関係はサラッと触れることはあっても、特に取り上げることはありません。
オペラを取り上げるとなると、演出、指揮者・歌手の出来などについて書きたくなります。そうなると、ユーチューブが最適なツールになりますが、オペラは、写真・ビデオ撮影禁止、録音禁止なので、物理的に不可能という訳です。
時々、動画掲載のブログを拝見してますが、暫く経つと著作権者の希望により、動画が削除されているのを散見します。
へんな質問におこたえいただき有難うございます。