121
右翼廊の礼拝堂です。


123
右翼廊礼拝堂の祭壇画は、ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「キリストの復活」(1736)です。


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ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)によって描かれた右翼廊礼拝堂クーポラのフレスコ画(1726)


129
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)のよって描かれた天井フレスコ画(18世紀末)


127
ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1506-サン・ヴィート・アル・ターリアメント、1588)の「寺院から商人たちを追放するキリスト」(1555)


140
主祭壇
ジュゼッペ・トッレット(パニャーノ、1664-ヴェネツィア、1743)の「受胎告知の祭壇」


137
ルイス・ドリニー(パリ、1659-ヴェローナ、1742)によって制作された後陣フレスコ画


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ルイス・ドリニー(パリ、1659-ヴェローナ、1742)のバロック様式のフレスコ画


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オルガン


143
オルガンの下に絵画が描かれてますが、詳細不知です。


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905
聖心礼拝堂 Cappella Sacro Cuoreです。


147
フレッド・ピッティーノ(ドーニャ、1906-ウーディネ、1991)の「聖心のキリストと聖テレーザとベアータ・エレーナ・ヴァレンティニス」(1940)


148
ジュゼッペ・モレッリによって描かれた天井フレスコ画(1791)


151
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)の天井装飾


906
神慮のマドンナ礼拝堂


157
制作者不知の「聖母子」(15世紀)


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アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)の神慮のマドンナ礼拝堂天井フレスコ画(1742)


161
サン・ジュゼッペ礼拝堂です。


162
ペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエーレ(サン・ダニエーレ・デル・フリウリ、1467-ウーディネ、1547)の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」


164
アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)のサン・ジュゼッペ礼拝堂天井のフレスコ画


168
サン・マルコ礼拝堂です。


170
ジュゼッペ・マルティーニ(ウーディネ、1470/1475-1535)の「聖マルコと聖人たち」(1501)
プレデッラは、ジャンドメニコ・ルッジェリによって1744年に描かれたものです。


172
サン・マルコ礼拝堂の左側壁にある、マッフェオ・ヴェローナ(ヴェローナ、1576-ヴェネツィア、1618)の「聖母の結婚」と「聖ジュゼッペの死」(1615c)


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アンドレア・ウルバーニ(ヴェネツィア、1711-パドヴァ、1798)によって1742年に描かれたサン・マルコ礼拝堂天井のフレスコ画


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ファサードの裏


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主祭壇をもう一度見てから一旦外に出ます。


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次はドゥオーモ博物館です。


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この時は入館無料でした。


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ドゥオーモ博物館からリベルタ広場に戻ります。


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サン・ジョヴァンニ教会とサン・ジョヴァンニの柱廊です。


204
以前のサン・ジョヴァンニ教会は、1511年に地震によって倒壊してしまいました。古い教会の建物を完全に取り壊して、その上に新しい建物を建設することになりました。
そうして、ロンバルドの建築家ベルナルディーノ・ボルトリーニ通称ベルナルディーノ・ダ・モルコテ(モルコテ、?-ウーディネ、1542)の設計によって、1533年に完成したサン・ジョヴァンニ教会とロッジャです。


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ジョヴァンニ・ダ・ウーディネの設計によって1527年に完成した時計塔です。


211
17世紀に制作された「ヘラクレス像」の制作者情報がよく分かりませんが、ギリシャの古代彫刻のコピーでしょうか?


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1539年に制作された「有翼のライオン像」


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これは問題の記念碑です。
1797年に締結されたカンポ・フォルミオ条約締結を記念して、1819年に完成した「平和のモニュメント」です。しかし、ヴェネツィア支配下の方を好んだウーディネ市民にとっては、屈辱の記念碑と言うことで、今でも無視するウーディネ市民が沢山います。
以上を読んで頂いて、「何のことかサッパリ分からん」と仰せの方がいらっしゃるかも知れません。蛇足ながら、その辺に触れてみます。
18世紀末、イタリアはナポレオン軍の侵攻を受け、壊滅してしまいました。
ウーディネの郊外カンポ・フォルミオで、1797年10月17日に調印された所謂カンポ・フォルミオ条約によって、ヴェネツィア共和国(ジェノヴァも)は消滅し、賠償金の支払いと共に軍艦、名画、古文書などがヴェネツィアからフランスの所有となったのです。
この条約に基づき、ウーディネはフランスの支配下(1815年まで)に置かれました。1815年から1866まではオーストリア領となってしまいました。
(つづく)