ボローニャは、人口392,696人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州の州都であり、同州ボローニャ県の県都です。
前泊地がカステッラルクア―トだったので、最寄り駅のフィオレンツォ―ラ駅から列車でボローニャに向かいました。フィオレンツォ―ラ駅は、ピアチェンツァ~パルマ間にある快速列車が停車する駅です。
フィオレンツォ―ラ駅を定時に発車しました。
フィオレンツォ―ラ駅を発車した時、車内は写真のように空いてましたが、パルマ、レッジョ・エミリア、モデナで乗車する人が多く、ボローニャ手前ではほぼ満員状態になりました。
快速列車なので、地上駅に到着しました。特急列車は大体地下駅の発着となるので、地上に上がるまで時間がかかります。
ボローニャは、美術的な見所が満載なので、毎年来ています。
ボローニャ駅の駅舎です。
この時は、駅前の写真左のホテルにしました。飛行機利用の場合、必ずこのホテルに泊まることにしています。
荷物をホテルに預けてから、街歩きに出発しました。午前中にも拘らず雷鳴が聞こえてきました。晴れていたと思っていたのですが、ホテルから外に出ると、空は黒い雲に覆われていました。
市域の拡大によって、城壁が拡張されましたが、第3の城壁に築かれたガッリエラ門です。
私には教会のように見えます。恥ずかしながら、初めてボローニャに来た時、門と思わず教会の建物と思ってました。
1200年頃に建設されたガッリエラ門は、戦争、紛争などで破壊、再建を繰り返しました。現在、見ることが出来るバロック様式のガッリエラ門は、1660年から1663年に建設されました。
門の後方にガッリエラ城の遺跡があります。
ボローニャに来たならば、真っ先に目指すのは国立絵画館です。
国立絵画館は、開館日時が頻繁に変更されるので、要注意です。
この時は、曜日によって午前のみ、午後のみの開館となっていて、ゆっくり鑑賞したい私としては困りものの絵画館となっていました。一回の旅で、絵画館に二回入館して写真を撮る日と鑑賞だけする日に分けているのが常でしたが、ボローニャ絵画館だけは、それが叶いませんでした。
展示作品が多いので、午前中に全作品の写真を撮るには時間が足りず無理でした。鑑賞も同じでした。
だから、一回のボローニャの旅で、写真撮るために2日、鑑賞するために2日、計4日必要だったのです。
雷鳴が近くなると、やがて雨が降ってきました。
ポルティコがどこまでも続くボローニャなので、急な雨でも歩き回るには支障がありません。
恐らく教会だった建物と思いますが、詳しいことが分かりません。
幸いにも雨が上がりましたが、雷鳴がまだ聞こえてきます。
赤い煉瓦に染まる街ボローニャです。
切りピザ店に立ち寄り、一切れ買い求めて食べながら国立絵画館へと急ぎました。閉館の午後2時まで頑張らないといけないので、エネルギー補給が必要でした。
大学生が多いですね。イタリアの大学は、入学は容易、卒業は難しいと言われてます。
私が大学を卒業したのは、半世紀以上前ですが、勉強させられました。理工系でしたが、午後1時から実験が始まって、終わるのが午後9時過ぎ、自宅で実験レポートを書いて、それを15週やって僅か1単位でした。製図は、自宅で数日かけて仕上げて、15週かけて15点の墨入れ製図を提出して僅か1単位。卒業は、文科系も理工系も同じ124単位以上でしたから、割に合いませんね。
ぽつぽつと雨が落ちてきました。
夏でしたが、アルプスからの寒気が強くて、天気が安定しません。
柱廊の突き当りを右折すれば、絵画館です。
絵画館の建物です。雲の切れ間から強い日差しが照り付けてきました。
国立絵画館にやってきました。強い日差しによって、雨に濡れた道路から水分が蒸発して、大変な湿気でした。
入館しました。
ボローニャの国立絵画館については、既に取り上げました。ご興味のある方はご参照願います。
この絵画館の特徴はボローニャ派絵画の殿堂であることでしょう。日本では、ボローニャ派絵画はあまり人気がないように思えるのですが、如何でしょうか?
グイド・レーニの作品
ルドヴィーコ・カッラッチの作品
アンニーバレ・カッラッチの作品
グエルチーノの作品
ドメニキーノの作品
グエルチーノの作品
途中で時間切れとなってしまいました。
国立絵画館のパラッツォの中庭
私が外に出るのを待ってます。
閉館の30分くらい前に、係員から「そろそろ閉館の時間です」と言われます。
閉館時間の10分前に外に出たら、すぐに扉が閉まりました。私が最終入館者だったようです。
大勢の学生が絵画館がある建物の柱廊で座り込んでいました。
直ぐに大粒の雨が落ちてきました。
雨宿りを兼ねて、サンタ・マリア・マッダレーナ教会向かいにあるカフェで学生たちと昼食をともに。
食べているうちに俄雨が上がりました。
(つづく)
コメント