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今回、(その3)では、構造図の6番がピラトの中庭で、その左側にある2つの小礼拝堂と5番のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂を取り上げます。


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ピラトの中庭に面した柱廊にある「Gallo di San Pietro」(14世紀)です。


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柱廊の壁のフレスコ画


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ピラトの中庭です。


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ピラトの中庭に面した柱廊に3つの小礼拝堂があります。


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第1小礼拝堂に入りました。祭壇画が取り外されていました。恐らく付属美術館に移されたように思います。


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第2小礼拝堂、Cappella Consolazioneに入りました。


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Cappella Consolazioneの祭壇に「聖母子と2聖人」のフレスコ画があります。
聖母子の方は痛みがありますが、2聖人とは制作された時期が違います。


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中央の「Madonna della Consolazione」(12世紀)


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逸名画家によるフレスコ画です。


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ステファノ」


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ロレンツォ」


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Cappella Consolazioneの天井フレスコ画もバルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)によって描かれました。
第3小礼拝堂は、20分後に開く予定となっていたので、後程入ることにしました。


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次は、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。Basilica del Sepolcroの隣に建ってます。


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サント・ステファノ聖堂の中で最古の部分がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。


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西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る神殿がありましたが、4世紀頃に初期キリスト教会に転用されました。その後、6世紀にかけて拡大されたようです。


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聖ヴィターレと聖アグリコラは、ディオクレティアヌス帝の時代の304年頃、キリスト教の棄教を拒否してボローニャで殉教しました。
393年頃、ミラノの聖アンブロージョ司教が2人の遺体を発見し、2人の遺体をこの教会に移しました。それを機に、教会の名称が現在の呼称に変更されました。なお、2人の遺体はクリプタの主祭壇の下に置かれてます。
この教会に司教座が置かれていた時期がありました。


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ファサード上の彫刻「キリスト(中央)と聖ヴィターレと聖アグリコラ」


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ファサード入口扉周囲の装飾


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柱頭


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サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂に隣接する礼拝堂は閉まっていました。


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礼拝堂入口扉上ルネッタ上の彫刻(詳細不知)


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聖堂内に入りました。


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歴史の重みを感じさせます。三廊式です。


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右側廊に聖アグリコラが処刑された時に使われた十字架があります。


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聖アグリコラの十字架(4世紀)


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右側廊


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左側廊


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柱にフレスコ画があります。


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祈る聖母?(詳細不知)


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詳細不知


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詳細不知の剥離フレスコ画


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左側廊の先端に聖ヴィターレと聖アグリコラの墓(7-11世紀)があります。


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墓の中は空です。聖ヴィターレと聖アグリコラの遺骨はクリプタの主祭壇下に置かれてます。


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サント・ステファノ聖堂の鐘楼


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一旦十字架教会に入ります。


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間違ったわけではなく、十字架教会を経由してピラトの中庭に戻るためです。


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十字架教会のPresbiterio前から見た出入口方向


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ピラトの中庭に戻りました。
(つづく)