ガルヴァーニ広場です。
サン・ペトロニオ聖堂の後陣がガルヴァーニ広場に面してます。
広場の名称の由来は、広場の真ん中にある電気化学者で、ボローニャ大学の卒業生で同大学の教授を務めたルイージ・ガルヴァーニ(ボロ-ニャ、1737‐1798)像があるからです。
広場に面して旧ボローニャ大学が建ってます。(Piazza Galvani 1)
Palazzo dell' Archiginnasioのアーチを潜って中庭に出ます。
Palazzo dell' Archiginnasio(旧ボローニャ大学)の中庭に入りました。
11世紀に創立された、ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学は、16世紀中頃まで街の様々な建物に分散していました。それらを一つの建物に統合する計画が持ち上がり、第224代教皇ピオ4世(ミラノ、1499‐ローマ、1565 教皇在位:1560‐1565)は大学統合計画を認可して、教皇使節聖カルロ・ボッロメオ枢機卿(アロナ、1538‐ミラノ、1584)をボローニャに派遣したのです。当時、教皇庁は中央集権化を目指しており、従来から教皇庁と一線を画したいボローニャ市当局に圧力をかけたかったようです。
建築家アントニオ・モランディ通称イル・テッリビッラ(ボローニャ、1508‐1568)に建築が委嘱され、1562年から1563年に建設されたPalazzo dell' Archiginnasioです。
1803年、ボローニャ大学はPalazzo Poggiに移転して、この建物は大学棟としての役割を終了したのです。
Palazzo Poggiです。
大学が移転した後、小学校として使用されましたが、1838年から市立図書館が置かれるようになり、現在に至ってます。
夏季の間、Palazzo dell' Archiginnasioの中庭でコンサートなどが行われてます。
ロッジャを見て回ります。
紋章、彫刻、フレスコ画などがロッジャにあります。
詳細不知の紋章
Iscrizione in onore di Carlo Borromeo
これらの詳細がサッパリ分かりません。
外に出ました。サン・ペトロニオ聖堂の左側壁です。
外壁が修復工事中でした。
サン・ペトロニオ聖堂は、先ほど拝観しました。
お腹が空きました。
エンツォ宮のアーチの先にジャンボローニャのFontana del Nettunoが見えてます。
観光客らしく、観光客向けの普通のお味のトラットリアで昼食を食べました。
マッジョーレ広場近くにお気に入りの店がありますが、ワインを飲まねばならないので、避けました。そこではビールだけという訳には行きません。
Via Oreficiの各店はかなりの賑わいでした。
(つづく)
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