カヴール広場です。花壇の先に建っているのはサン・ベルナルディーノ教会です。
カヴール広場の端に建っているのはサンタントニオ・アバーテ教会です。
1445年に完成した巡礼者のためのゴシック様式のサンタントニオ・アバーテ礼拝堂が前身です。
礼拝堂の横にサンタントニオ修道会の修道院が建設され、礼拝堂は拡張され同修道会の所有の教会となりました。後にイエズス会の所有となり、1767年にイエズス会によって再建された二代目の建物が現在の姿です。教会は後にサン・フランチェスコ会の所有となり現在に至ってます。
次は市庁舎に向かいます。
写真左はサンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会ですが、後で見ることにして市庁舎へと急ぎました。
歴史的建造物が建ち並ぶVia Palazzo di Cittaです。
市庁舎の門です。
市庁舎の敷地内に入りました。
市庁舎のロッジャの壁ルネッタ上に描かれたフレスコ画を見ます。
フレスコ画の制作者や制作された時代等の詳細が分かりません。
キエーリ市の紋章
キエーリの地図を頂戴してから市庁舎を後にしました。
Palazzo Bruniです。
17世紀に建設され、1993年に修復復元されました。
Via Palazzo di Cittaに面して教会が建ってます。
先ほど、見るのを後回しにしたサンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会、聖母扶助教会です。
サンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会は、1896年に建設された新しい教会です。
この場所にはサンタ・テレーザ教会があり、それが取り壊され、建物が再建された際に奉献する聖人が変更され、教会の名称も現称に改称されたのです。
サンタ・マリア・アウジリアトリーチェ教会に隣接して建っている建物は旧サンタ・テレーザ修道院で、現在は学校として使用されてます。
Via Palazzo di Cittaの先にも教会があります。
オルファネッリ教会です。
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会とも呼ばれてます。
数千人の犠牲者を出した1630年のペスト禍後に、犠牲者の鎮魂のため、教会の建設が決定され、1726年から1726年に建設された教会兼孤児院です。ペストで両親を失った孤児を収容するために孤児院が創設されましたが、後には様々な理由によって孤児、或いは両親によって扶養されなくなった子供が収容されるようになりました。
振り返って市役所方向のVia Palazzo di Cittaです。
鐘楼が見えてきました。
ドゥオーモの鐘楼です。
ドゥオーモに行く前に突き当りに見えている建物を見ます。
Via Palazzo di Cittaに面して建つPalazzo Tanaです。
サンテ―ナのシニョーリ、エルコーレ・ターナが自身の住居として16世紀に建設したPalazzo Tanaです。
Palazzo Tanaの最上階にイエズス会のサン・ルイージ・ゴンザーガ礼拝堂があります。
Palazzo Tanaの入り口天井です。
現在、この建物は大学の学舎として使用されてます。
この辺がキエーリの旧市街の中心でしょう。
キエーリのドゥオーモ、サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教会です。
キエーリは、トリノ大司教区に属してます。
ローマ時代に建設されたミネルヴァ神殿の遺跡の上に、4世紀から5世紀に建設された初期キリスト教のサンタ・マリア教会が前身です。
1037年、ロマネスク様式で二代目の建物が再建されました。
二代目の建物が老朽したので、1405年から1436年にかけてゴシック様式の三代目の建物が建設されましたが、その三代目の建物が現在の姿の原形です。1437年に奉献されました。
その後、バロック様式に改造されました。
現在の姿は19世紀後半に行われた改造後のもので、ファサードはゴシック様式に戻され、内部のバロック様式部分は新古典様式で改造されました。
(つづく)
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