321
サン・ヴィンチェンツォ・マリア・ストランビ広場に面して、ドゥオーモと共に建っているのがサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア聖堂です。


320
10世紀頃、既に、この地に聖母信仰の小さな祠がありました。後世に造られた、その祠が聖堂横にあります。


145
これが祠です。壁の横に「慈悲の聖母」のテラコッタがあります。


146
慈悲の聖母のテラコッタ


318
15世紀中頃、マチェラータを荒廃させたペスト禍の平癒を願う市の投票が行われ、教会の建設が決まり、祠があった場所に1447年に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。
しかし、最初の建物は小さ過ぎたので、1497年に拡大再建されました。


319
18世紀になると、1497年に再建された建物は老朽化が顕著となったので、それを取り壊し、その上に新しい建物が再建されることになりました。そうして、建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ(ナポリ、1700-カゼルタ、1773)に建設が委嘱され、ルイージの設計によって1736年から1741年に建設された建物が現在の姿の原形となってます。


230
1799年7月、イタリアに侵攻してきたフランス軍兵士によって、教会にあった宝物が略奪されるとともに、機関銃で建物、彫刻などが破壊されるなど大きな被害を受けました。その後、大修復工事が行われました。


138
現在のファサードは、ジュゼッペ・ロッシ(フェルモ、1851-マチェラータ、1933)の設計によって1893年に改築されたものです。


143


231
聖堂内に入りました。


256
祭壇画の「慈悲の聖母」が違うようです。この時は、どうも複製画が入っていた?


287
お分かりになりますか?


288
これが本物、従来の祭壇画です。
16世紀の逸名画家の作品です。


232
主祭壇の左右の壁に、それぞれ2枚の楕円形の作品があります。全部で4点ありますが、全てフランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)によって、1735年頃に制作されました。
これは受胎告知です。


289
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「受胎告知」(1735c)


233
聖母の神殿奉献


290
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖母の神殿奉献」(1735c)


237
ご訪問


291
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「ご訪問」(1735c)


238
キリストの神殿奉献


292
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「キリストの神殿奉献」(1735c)


234
天井のフレスコ画もフランチェスコ・マンチーニによって制作されました。


293
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の聖母被昇天」


259
左右の側壁上部にセバスティアーノ・コンカの作品があります。
こちらは聖母の誕生です。


294
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「聖母の誕生」(1741)


258
こちらは無原罪の御宿リです。


295
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「無原罪の御宿リ」(1741)


296
クーポラ


243
祭壇横に通路があり、進めるようになってます。


244
クリプタのように見えますが、主祭壇と同じフロア、同じ高さにあります。


245
こちらの方が主祭壇よりも大きい。


246
しかし、祭壇には行けないようになっていました。


247
主祭壇裏の礼拝堂のステンドグラス


248


249
さらに先に行くことが出来ます。側壁に絵画があります。


250
磔刑


251
一周して主祭壇に戻るようになっていました。


252
主祭壇に戻ってきました。


253
見所は、フランチェスコ・マンチーニとセバスティアーノ・コンカの作品でしょう。


136
外に出ました。


322
次はMuseo Civicoです。
(つづく)