前泊地トリノから普通列車でブラに向かいました。
定時にブラ駅に到着しました。
ブラは、人口29,852人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州クーネオ県にあるコムーネです。
ブラ駅の駅舎です。
駅前広場です。
駅前にある公園です。
この日のお宿に向かいます。
駅前から旧市街の入り口に通じるカヴール通りです。
ブラの歴史は非常に古く、先史時代から人の居住が遺跡からの発掘物によって確認されてます。
ブラは、スローフード運動の発祥地として、また、その本拠地として有名です。スローフード運動の意味合いがよく分からないので、ブラであれこれ食べて、その本質を見極めたいと思ってブラに来た次第です。
カヴール通りの突き当りに教会がありますが、その辺りは旧市街になると思います。ブラには城壁がないので、旧市街の範囲がよく分かりません。
元々城壁があって、都市計画などのために城壁が取り壊されたのか、初めから城壁が築かれなかったのか、その辺の事情が私にはよく分かりません。
サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。扉が開いていましたが、拝観せずにホテルに向かいました。ブラの教会は、比較的開いている所が多いので、焦って拝観する必要がありません。尤も芸術的に優れた祭壇画や彫刻が少ないこともあります。
バルトロメオ・ジャンノリオ通りを通って、ホテルがあるガリバルディ通りに向かいました。
ガリバルディ通りです。
青空市が開市されてました。
右の方に進みます。
小高い所にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。
この日のお宿は、道を隔ててサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の向かいにあります。
この日のお宿です。レストラン兼ホテルです。
ホテル前の通りから、今通ってきたガリバルディ通りを撮った写真です。
チェックインを済ませて、街歩きに出発しました。
ガリバルディ通りの先は見所がなさそうと判断しました。実は、この先、約1.5㎞に分離集落ポッレンツォがあるのですが・・・・・そちらの方は取り敢えず後回し。
ガリバルディ通りを戻れば、街の中心ですが、そちらに向かう前にやることがあります。
ホテルの向かいにあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の拝観です。
ブラチーズの名産地としても有名なブラです。
階段を上り、9月20日広場を見下ろします。
ホテルの隣にスローフード・インターナショナルがあります。
さて、教会です。
横に広がった楕円形のバロック様式のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。
フランチェスコ修道会の一つであるFrati Minori Osservantiが1742年から1752年に建設しました。
1795年、サヴォイア家によって徴収され、塩貯蔵庫に転用されましたが、ナポレオンの侵攻によってフランス軍に接収され兵舎として利用されました。ナポレオンの失脚後、再びサヴォイア家が弾薬庫、倉庫として使用しました。
その後、個人に転売されました。
20世紀初頭、建物はカプチン会の所有となり、修復されて、1906年にカプチン会の教会として宗教活動が再開され現在に至ってます。
ファサード前の十字架
毎日開く教会なので拝観し易いと思います。
中に入りました。
楕円形の天井です。
天井のフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の作品です。
祭壇に向かって左側の壁
右側壁
主祭壇とPresbiterio
ユニークな岩窟の聖母礼拝堂
制作者情報不知の「聖心」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画
制作者情報不知の「聖ジュゼッペの死」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「無原罪の聖母と聖フランチェスコ」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画
Presbiterioに立ち入ることが可能です。
Presbiterioのフレスコ画
詳細不知
作品帰属が明確になっている祭壇画があります。
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「貧者に施しをする聖母」
彫刻に見えるように描かれた騙し絵
詳細不知
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画
制作者情報不知の「聖痕を受けるシエナの聖カテリーナ」
制作者情報不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」
主祭壇前から見た出入口
外に出ました。
(つづく)
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