次は、Piazza Caduti per la Libertaに面して建つサンタンドレア・アポストロ教区教会です。
ブラは、トリノ大司教区に属してます。
地元ではドゥオーモと呼んでいないようですが、ブラでは最も格式が高く最重要の教会です。
サヴォイア公爵カルロ・エマヌエーレ2世・ディ・サヴォイアがジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1683)に設計を依頼し、ベルニーニの設計に基づきサヴォイア家のお抱え建築家カミッロ・グアリーノ・グアリーニ(モデナ、1624-ミラノ、1683)によって1672年から1687年に建設されたバロック様式の教会です。
公式的には、以上の通りですが、実際にはベルニーニの関与は設計のアイデア程度だったようです。
ファサードにコリント式列柱を用い、後の新古典様式の萌芽となる建物として、建築史上、高く評価されてます。
実は、建設されてから1816年まではサンティッシモ・サクラメント教会と呼ばれており、教区教会ではなかったのです。
1884年に完成したファサード
サンタンドレア・アポストロ教区教会は、元々別の場所の丘上にありましたが、19世紀初頭に安全ではないと判断されて破壊されることになったのです。
それを受けて、1816年、教区教会の機能をサンティッシモ・サクラメント教会に移すとともに、教会の名称も現称に変更したのです。
ファサードの彫刻(18世紀中頃)
18世紀中頃に制作された彫刻
柱頭
後陣と鐘楼
バロック様式の後陣と鐘楼
側壁にある聖心像は、恐らく改称前にあった彫刻でしょう。
外部、内部の聖アンドレアに関する装飾は、1816年以降に付け加えられたか、描き改められたものです。
中に入りました。
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。
現在でも豪奢な装飾が施されてますが、1795年、ナポレオン軍から閉鎖を命じられ、教会の建物はフランス軍倉庫に転用されましたが、その際、多くの装飾品がフランスに持ち去られましたが、戻されることなく現在に至ってます。
天井の装飾
クーポラのフレスコ画は、パオロ・ガイダーノ(ポイリーン、1861-トリノ、1915)の「聖アンドレアの栄光」(1893)
四隅の聖人は、ルイージ・ヴォッカ(トリノ、1778-1854)によって描かれました。
主祭壇とPresbiterioを見ます。
磔刑像(16世紀)は、破壊された、以前のサンタンドレア・アポストロ教区教会にありましたが、1816年にこの場所に移設されました。
磔刑像の後にある彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の「聖アンドレアの殉教」です。
Presbiterioの彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の作品です。
アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「聖アンドレア」
アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「バーリの聖二コラ」
主祭壇右側壁にある祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの捕縛」です。
主祭壇左側壁の祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの奇跡」です。
カルミネ礼拝堂です。
聖母子の彫刻はアントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の作品です。
18世紀の逸名画家作「磔刑」
アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「カルミネの聖母」
次は、サン・セバスティアーノ礼拝堂です。
クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖セバスティアーノの殉教」(1761)
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ヴィットリア」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ロッコ」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「公正の寓意」
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「賢慮の寓意」
制作者不知の「信義の寓意」
制作者不知の「希望の寓意」
(つづく)
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