ガイドさんが入り口扉を開錠して、ガイドさんと共に聖堂内に入りました。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されました。それ以来、聖堂の方は公的な宗教施設ではないとされてます。
しかし、地元の村人は祈りを捧げるために訪れることが出来るようです。
2012年5月29日に発生したマントヴァ付近の大地震によって大きな被害を受け、修復工事が行われていましたが、2014年、2015年に起きた、さほど大きくはなかった地震によって被害が拡大してしまいました。
ポー川とリローネ川に囲まれた島と、島周囲の河原を埋め立てて出来た、元々地盤が弱い土地の上に建設されたので、小地震でも被害を受けることが多く、修復工事が追い付かないそうです。
聖堂内に入ったものの、聖堂内の大部分が修復工事中で見学できないようになっていました。
祭壇画は、逸名画家作「信仰の寓意」(16世紀)
礼拝堂の祭壇
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖シモーネ」
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖マリア・マッダレーナ」
礼拝堂天井の装飾
この礼拝堂は危険ではないので、拝観出来ますが、修復工事が必要との事でした。建物の危険度によって、修復の優先順位を付けているそうです。
磔刑の礼拝堂
磔刑礼拝堂天井
サン・ベネデット礼拝堂
通路の左右は修復工事中です。
クーポラ
ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)と工房の作品
次はサンタ・マリア礼拝堂です。
ボニファチョ・ディ・カノッサ(985-1052)によって、11世紀に再建された修道院ですが、その時にサンタ・マリア礼拝堂も建設されました。
トスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)は、ポリローネ修道院に多大な寄付を行いましたが、ローマで没した彼女の遺体はポリローネ修道院に運ばれ、サンタ・マリア礼拝堂に埋葬されました。
サンタ・マリア礼拝堂の祭壇画(詳細不知)
サンタ・マリア礼拝堂の床のモザイク
11世紀-12世紀のモザイク
モザイクの所にマティルデ・ディ・カノッサの墓がありました。
マティルデの墓の跡です。
1632年、マティルデの遺体が掘り起こされ、ヴァティカンに運ばれました。当時の修道院長が教皇に対して、非常な高額でマティルデの遺体を売却したのです。売る方も売る方であり、買う方も買う方です。
古そうな柱です。
(つづく)
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