ファーノは、人口60,728人(2019年12月31日現在)のマルケ州ペーザロ₌ウルビーノ県にあるコムーネです。ローマ時代に重要な役割を果たした歴史ある街です。
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前泊地は、マルケ州のセニガッリアでした。


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セニガッリアからファーノに向かいます。


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朝の通勤通学時間帯で混雑が予想される上に、大きな荷物があったので、一等車に乗りました。流石に空いてました。


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ファーノ駅に到着しました。


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ファーノ駅の駅舎です。
ファーノ海岸は白砂の海水浴場で有名です。夏場は海をとずれるヴァカンス客で大混雑します。ホテルは一週間以上止まらないと予約を受け付けない所が多いので、一泊しか止まらない私は夏場を避ける一手です。この時、季節は中秋、10月でした。


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駅前に高い城壁が聳えてます。


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サンガッロ要塞とファーノの城壁です。


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サンガッロ要塞の見学は後にして、この日のお宿に向かいます。


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城壁の高さは4メートル以上あります。


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要塞と城壁沿いのVia Mura Malastianaをホテル方向(リミニ方向)に進みます。
ファーノのホテルは海水浴向けの海岸沿いに数多くありますが、旧市街には良いホテルがありません。已む無く城壁沿いの道を歩いて城壁外のホテルにしました。


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直ぐにマラテスタ要塞が見えてきます。要塞の先に、この日のお宿があります。


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ファーノ領主だったシジスモンド・マラテスタ(ブレーシャ、1417-リミニ、1468)の命によって、建築家マッテオ・ヌーティ通称マッテオ・ダ・ファーノ(コルフィオリート、1405c-ファーノ、1470)が起用され、マッテオの設計によって1438年から1452年に建設されたマラテスタ要塞です。


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1463年まで拡張工事が続きました。


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さらに16世紀前半、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)によって増強改修されました。


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長年の風化劣化と第二次世界大戦の爆撃によって、マラテスタ要塞は荒廃してしまいました。1972年になって漸く復元工事が行われるようになり、2017年に現在の姿に蘇りました。


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この日のお宿です。
チェックインを済ませてから街歩きに出発しました。


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城壁内に入り、Piazza Fratelli Rosselliから街歩き開始です。


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サンタントニオ・アバーテ教会です。


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9世紀頃にこの場所にあった地元の人が祈りを捧げる祠が前身です。


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15世紀に教会の建物が建設され、現在の姿は18世紀に再建された二代目のものです。


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6つの礼拝堂に区切られた、ほぼ円形の内部です。


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この教会の作品については全く知りません。


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次は、サン・ぺテルニアーノ修道院教区教会です。


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サン・ぺテルニアーノ教区教会です。


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5世紀半ばにガッラ・プラチディアによって建設された修道院が前身です。


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修道院に礼拝堂がありましたが、付属教会を建てることになり、12世紀に最初の建物が建設されました。現在の建物は1566年に再建された二代目のものです。


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サン・ぺテルニアーノ修道院のキオストロです。


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キオストロ回廊


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回廊の壁にフレスコ画があったと思われますが、残されていません。


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教会内に入りました。


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主祭壇


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「父なる神」(フレスコ画)(詳細不知)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラガッツィーニ(ラヴェンナ、1520-1591)の「天国」


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バーリの聖二コラ礼拝堂


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Cappella del Santo


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(つづく)