次はドゥオーモです。
ドゥオーモは、Via Arco D'Augustpのアウグスト門近くになります。
ファーノのドゥオーモ、Basilica Minore e Cattedrale di Santa Maria Assunta、ファーノ₌フォッソンブローネ₌カーリ₌ぺルゴラ司教区の司教座教会です。
1953年、第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフォ、1958 在位:1939-1958)によってBasilica Minoreに格付けされました。
8世紀半ばに建設されたサンタ・マリア・マッジョーレ教会が前身です。そのため、別名サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と呼ばれてます。
8世紀半ばに建設された最初の建物は、1124年の火災によって消失してしまいました。
二代目のロマネスク様式の建物が1135年に創建され、1159年に完成しました。屋根が欠けられた1140年に奉献式が執り行われました。
煉瓦と砂岩で出来た現在のファサードは、1928年に行われた修復工事の際に、元のロマネスク様式に復元された新しいものです。二代目の建物のファサードは、数度改造されていたのです。
1944年8月に第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって破壊されたので、戦後に再建された現在の鐘楼です。
爆撃前の鐘楼です。
爆撃で破壊された鐘楼の土台部分が残されてます。土台部分は8世紀半ばに創建された教会の洗礼堂だったそうです。
左外壁
ファサードの柱頭
ファサードの柱頭
入口扉上の装飾
ロマネスク様式の彫刻
入口扉
改造、修復の結果、かなり新しく見える聖堂内部です。
美術的には幾つかの見所があります。
アンドレア・リッリ(アンコーナ、1570-ローマ、1631)の「聖母被昇天」(1606)
Cappella dei Santi Protettoriの祭壇画は、ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「天上の聖母と聖オルソと聖エウセビオ」
Cappella Nolfiです。
Cappella Nolfiは、ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)のフレスコ画「聖母の物語」(1618-19)があるので必見です。
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の誕生」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の神殿奉献」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の結婚」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「受胎告知」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「ご訪問」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「ご誕生」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「神の母性」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「マギの礼拝」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「キリストの神殿奉献」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「割礼」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「エジプトへの逃避」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の死」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母被昇天」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母戴冠」(1618-19)
ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「悲しみの聖母」(1618-19)
説教壇
説教壇の彫刻
聖母の礼拝堂
セバスティアーノ・チェッカリーニ(ファーノ、1703-1783)の「天上の聖母子とファーノを守護する四聖人」(1750)
(つづく)
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