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次はアウグストゥス門とサン・ミケーレ教会です。


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アウグストゥス門です。門に向かって左側にロッジャがあります。


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サン・ミケーレ修道院教会のロッジャです。


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アウグストゥス門を潜って、門の左側、門に向かって右にサン・ミケーレ教会があります。


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ロッジャ、修道院、門、教会が一体化されて建ってます。


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比較的新しく見えるのは、1926年に殆ど再建に近いような大修復をされたからです。


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ロッジャに入ってみましたが、特に見所がないようです。アウグストゥス門を潜って城壁外に出ます。


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アウグストゥス門を潜って城壁外に出ました。


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アウグストゥス門に向かって右側にサン・ミケーレ教会があります。


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15世紀中頃、サン・ミケーレ同信会は新教会の建設を決めましたが、当時、ファーノはシジスモンド・マラテスタの支配下にありましたが、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが率いる教皇軍に包囲されて身動きできない状況にありました。
1463年、シジスモンドは敗れて、ファーノはフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公の支配下に置かれました。サン・ミケーレ同信会は、新領主のフェデリーコに願い出て、アウグストゥス門と、その近くの破壊された城壁とローマ時代の遺跡の石などを利用して、現在の場所に教会を建てることが許されました。


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そうして、サン・ミケーレ修道院教会が1469年から1490年頃に建設されました。


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1797年、ナポレオンの抑圧令によって、修道院教会は閉鎖され、その後、倉庫などの転用されましたが、1870年頃に放棄され、建物は荒廃する一方になりました。


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これらの写真は、修復工事が着工される前の20世紀初め頃に撮られたものです。


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現在の建物は、修復工事が完了した1926年後のものです。


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ファサードの入り口上の彫刻が有名です。


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ベルナルディーノ・ディ・ピエトロ・ダ・コロナの「大天使聖ミケーレと受胎告知」(1511-12)


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ファサードの、向かって左にあるアウグストゥスの碑文


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ファーサードの、向かって右側


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大天使聖ミケーレのシンボル


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サン・ミケーレ修道院教会は、普段開いていないのですが、この日は特別に中に入ることが出来ました。
現在はMuseo della Via Flaminiaとして一般公開されてます。


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宗教施設ではないので、信者席などは設けられておらず簡素です。


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左側壁


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主祭壇


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後陣にフレスコ画断片があります。
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(15世紀末)


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主祭壇画は、ラッファエッリーノ・デル・コッレ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1495-1566)の「受胎告知と聖ピエトロ・マルティーレと聖バルバラ」


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ローマ時代の遺跡が教会内にあります。


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遺跡を見て回ります。


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修道院です。


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キオストロです。


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ロッジャからキオストロに行けますが、この日はロッジャの扉が閉まったままでした。


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キオストロ回廊の一階(日本の二階)に上りました。


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キオストロを見下ろしました。


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復元された柱廊です。


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フレスコ画の痕跡


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教会から見たアウグストゥス門です。
(つづく)