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次は、Arco d'Augusto アウグストゥス門を詳しく見ます。


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紀元前220年、監察官ガイオ・フラミニオ(ガイウス・フラミニウス)(ローマ、紀元前265-トラジメノ、紀元前217)によって、ローマからリミニを結ぶフラミニウス街道(フラミニア街道)が敷設されました。


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ファーノは、フラミニウス街道の重要な拠点の港町でした。
起点であるローマのポポロ広場からアペニン山脈を越え、ここファーノでアドリア海に達し、更にペーザロ、リミニへと向かう、北に向かう重要な街道における交易においても、軍事的にも重要な拠点だったのです。


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ガイウス・フラミニウスがフラミニウス街道を敷設した際に、門を築いたとされてますが、ファーノのフラミニウス街道上の具体的な場所は不明のようです。


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ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの治世下の時代、各街道の整備が行われましたが、フラミニウス街道(フラミニア街道)だけは皇帝アウグストゥス自ら整備を指揮しました。
当時、ファーノは、アドリア海に入ってから上陸してローマに向かう外敵に対する軍事拠点と、アドリア海における重要な貿易拠点とされており、街道だけではなく、街全体が特に念入りに整備されました。
その記念として、西暦9年頃に建設されたのがアウグストゥスの門です。


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凱旋門だったという説が有力です。


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門の構造図


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20世紀初頭のアウグストゥスの門です。
かなり荒廃していたことが分かります。


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1931年の写真


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1940年の写真
アウグストゥスの門は辛うじて第二次世界大戦の爆撃被害がなかったようです。


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サン・ミケーレのロッジャ側から見たアウグストゥスの門です。


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サン・ミケーレ教会ファサードの右側にあるアウグストゥスの門の浮彫です。


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Porta Maggioreを見ます。


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市域の拡大によって、14世紀から15世紀にマラテスタ家によって、アウグストゥスの門の先に新たな城壁が築かれましたが、その際、フラミニウス街道(フラミニア街道)からファーノの市域に入る門がPorta Maggioreです。


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軍事的色彩が強い門です。


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城壁外は見所があまりないので、元に戻ります。


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アウグストゥスの門を潜って旧市街に入ります。


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マルティーノ通りです。通りに面して教会があります。


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サンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


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1592年に建設されたサンタ・トリニータ教会が前身です。1618年、所有者が変わって、サンタ・マリア・デッル・スッフラージョ教会に改称されました。


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入口扉上の紋章


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鐘楼(1692c)


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教会の内部


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スタッコ彫刻による装飾が多いと思います。


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ジュゼッペ・マリア・マッツァ(1653-1741)の「永遠なる父」(1710)


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主祭壇画の「磔刑」(16世紀)


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モンテヴェッキオ通りを進みます。


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振り返るとサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会の鐘楼が見えました。


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旧サンタゴスティーノ修道院の壁です。


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サンタゴスティーノ教会のファサードです。


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修道院は閉鎖されましたが、教会の方は現役です。


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キオストロ回廊のフレスコ画が見物とされてますが、劣化が著しく感心しません。


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教会の方も閉鎖されたと思います。


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裏通りから賑やかな所に出ます。


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昼食を食べなくては。


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(つづく)