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次はドゥオーモです。


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ドゥオーモにやってきましたが、ファサード側に回ります。


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ドゥオーモ広場です。


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広場に面して建つサン・ピエトロ・アポストロ大聖堂 Cattedrale di San Pietro Apostolo、トレヴィーゾ司教区の司教座教会です。


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現在、ドゥオーモが建っている場所は、ローマ時代、寺院、劇場、幾つかの浴場があった街の中心地でした。


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6世紀頃、現在地に建てられた初期キリスト教会が前身です。


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初期キリスト教会は、11世紀初めに取り壊され、11世紀から12世紀にかけてロマネスク様式の二代目の建物が再建されました。
しかし、18世紀初め、経時劣化が進み建物が荒廃したので、18世紀中頃に作家で政治家であり外交官だったアンドレア・メンモ(ヴェネツィア、1729-1793)などを中心とする人々からドゥオーモ再建が建議され、物理学者、建築、数学者、音楽理論家だったジョルダーノ・リッカティ(カステルフランコ・ヴェネト、1709-トレヴィーゾ、1790)の企画立案に基づき、新古典様式建築家ジャンアントニオ・セルヴァ(ヴェネツィア、1751-1819)によって、1760年から1782年にかけて建設された新古典様式の三代目の建物が現在の姿の原形となってます。
現在のファサードは、建築家フランチェスコ・ボンベン(トレヴィーゾ、1801-1875)とガスパーレ・ペトロヴィチによって1836年に建設されました。


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1944年4月7日、ドイツ軍の爆撃を受け大きな被害を受けたので、戦後に大修復されました。


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ファサードに向かって左に教会のような古い建物があります。


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このロマネスク様式の建物は、ドゥオーモの洗礼堂です。サン・ジョヴァンニ洗礼堂は13世紀に建設されました。


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サン・ジョヴァンニ洗礼堂の後方に鐘楼があります。


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鐘楼は時計塔を兼ねてます。


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トレヴィーゾは長らくヴェネツィア領でしたが、ヴェネツィア支配下の時代、この鐘楼はヴェネツィアのサン・マルコ寺院の鐘楼よりも、規模や装飾の点で、下にしないといけないという規制を受けていました。


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左外壁です。


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クーポラ


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二代目の建物の一部が現存しています。


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ファサードの左右にライオン像があります。


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ファサードに向かって左側のライオン像


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ファサードに向かって右側のライオン像


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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主祭壇とPresbiterio


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ピエトロ・ロンバルド(カローナ、1435c-ヴェネツィア、1515)の「祭壇」


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アッリンゴ・ダ・ボルツァーノの墓(14世紀)


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Presbiterioは立ち入り禁止でした。


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マリオ・ルデッリ(チニセッロ・バルサモ、1938-)の「聖書台」(1999)


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Presbiterio左側壁にあるビアージョ・ビアゲッティ(ポルト・レカナーティ、1897-マチェラータ、1948)の「ピオ10世の黙示録」(1914-15)


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クリプタに入りました。


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現存する大聖堂の中で、最古の部分がクリプタと言われてます。


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11世紀から12世紀に建設されたクリプタです。


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現在のクリプタは、15世紀に行われた改造後のものです。


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聖リベラーレの聖遺物(1403)


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ミストロリゴ司教の墓


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クリプタの所々にフレスコ画の断片が残されてます。


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フレスコ画の最古のものは13世紀から14世紀に遡ります。


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比較的新しいフレスコ画は、ヴェネツィア派逸名画家によって16世紀に制作されました。


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(つづく)